フランスの田舎から世界を見ると

土野繁樹の歴史探訪

歴史探訪 その17 天安門事件③

中国国家博物館 Sim Chi Yin for The New York Times 1989年6月4日の朝、人民解放軍が学生と市民を虐殺したとのニュースを聞いた、ペリー・リンクは(『天安門文書』の監修者、プリンストン大学名誉教授)自転車に飛び乗り、友人である方励之夫妻のアパート…

歴史探訪 その16 天安門事件②

人民解放軍の戦車に対峙する「無名の反逆者」 長安街 1989・6・5 Jeff Widener AP 1989年6月3日、北京市内に入った戒厳部隊と学生・市民の間に最初の衝突が起こった。軍の兵士を待ち受けていたのは、学生と市民の頑強な抵抗だった。市内のいたる所で軍の車両…

歴史探訪 その15 天安門事件1989 ①

天安門広場の大抗議集会 1989年5月30日 Wikipedia 筆者がはじめて北京を訪れたのは1980年春だった。北京空港はがらんとしてほとんど乗降客はおらず、壁には社会主義リアリズムの労働者賛歌の巨大な絵画がかかっていた。街を行き来する人々はほとんど人民服で…

歴史探訪 その14 ニクソンと毛沢東 1972

NIXONMAO Nothing New Since Nixon Met Mao Transmition6-10 1969年1月、ホワイトハウスの主になって1週間後、リチャード・ニクソン大統領はヘンリー・キッシンジャー安全保障担当補佐官を執務室に呼び、以前から構想していた対中和解政策を説明し、中国訪問…

歴史探訪 その13 毛沢東の実像

Andy Warhol 作 Wikipedia 筆者の中国現代史の師匠は米国コルビー大学の先輩ジョン・ロドリック(1914-2009)さんだった。ジョンはAP通信のナンバーワンの中国通として、40年間、洞察に満ちた記事を世界に送り続けた。彼は延安時代の革命指導者をよく知る数…

歴史探訪 その12 毛沢東の文化大革命

映画「毛沢東は永遠に我らとあり」のポスター Wikipedia どの国にも狂気の時代がある。日本の場合、戦前の軍国主義の時代がそれにあたる。文化大革命の10年は、中国の狂気の時代であった。今年は毛沢東がはじめた革命50周年にあたる。 1966年8月18日午前5時…

中国100年の屈辱 その11 1937 辺見庸

蔣兆和 「流民圖」 1943年作 Trois Mille Ans de Peinture Chinoise 南京事件を中国人の眼で見ると、どう見えるか。作家、堀田善衛は、それを小説『時間』(1955)で試みた。大虐殺事件を被害者の眼でみると、どんな光景が現れ、日本人の言動がどう見え…

中国100年の屈辱 その10 1937年 南京の生き仏

犠牲者の顔写真ククリーン 南京大虐殺記念館 南京事件は、おそらく日本の歴史のなかで最も恥ずべき出来事であった。「聖戦」の名で、書くのも語るのも憚られる蛮行が行われたことを、いまでは多くの日本人は忘れている。そして知らない。知っているにしても…

中国100年の屈辱 その9 1937年 南京事件

南京入城式 1937年12月17日 南京陥落から4日後の1937年12月17日、日本軍による盛大な南京入城式が行われた。東京朝日新聞は翌日の夕刊でその模様を次のように報じている。 午後1時半松井大将を先頭に朝香宮殿下を始め奉り柳川部隊長,各幕僚は騎乗…

中国100年の屈辱 その8 1936年 西安事件

西安の蒋介石(左)と張学良(左) 1936年12月 1936年12月4日、陝西省の首都、西安の飛行場に20人の護衛に守られた蒋介石と幕僚が到着した。西安は唐の時代に長安と呼ばれ、世界で最も美しく豊かな国際都市であった。1300年後の西安は、シルクロードで…

中国100年の屈辱 その7 蔣介石の革命

中国統一のシンボル「青天白日旗」 1960年代前半、筆者が学生だった頃、毛沢東は人気があった。当時、中国に関心がある若者は、米国のジャーナリスト、エドガー・スノーの『中国の赤い星』(1937年刊の戦後の邦訳)を読み、毛沢東とその同志のファンになった…

中国100年の屈辱 その6 孫文と宮崎滔天②

辛亥革命1911(映画) 香港・中国共同製作 2011年 成龍英皇影業有限公司 1900年9月末、孫文は平山周を伴って台湾へ向かった。間もなくはじまる広東省恵州蜂起への武器支援を、台湾総督の児玉源太郎に申しいれるためであった。台北での会見で、児玉は中…

中国100年の屈辱 その5「孫文と宮崎滔天」①

辛亥革命 南京太平門の戦い 1911年 T. Miyano画 . Wellcome Library 1897年8月下旬、宮崎滔天は友人、陳少白の横浜外人居留地の宿泊先で孫文にはじめて会った。のちに「中国革命の父」「国父」と呼ばれる孫文は、当時、日本ではほとんど無名の人で…

中国100年の屈辱 その4「五・四運動」

デモ行進する北京の大学生 Wikipedia 1919年5月4日、その日は日曜日で、北京は春というのに冷たい風が吹いていた。午後1時半、天安門広場に市内の12大学から3000人の学生が集まった。多くの学生が、彼らが尊敬する知識人の“制服”長い絹のガウン…

中国100年の屈辱 その3 「日清戦争」

平壌陥落の錦絵 小林清親 British Museum 筆者は下関で育ったので、日清戦争の講和条約会議場となった春帆楼と聞くとなつかしい。春帆楼は関門海峡をのぞむ高台にあり、源平合戦の決戦場となった壇ノ浦が眼下にある。日本の代表は伊藤博文(首相)と睦奥宗光…

中国100年の屈辱 その2 「アヘン戦争」

英軍艦に吹き飛ばされる清海軍のジャンク船 1842 Edward Duncan 画 The British Museum 1839年6月6日、アヘン撲滅作戦の指揮をとる林則徐(皇帝の特命大臣)が旗を左右に振ると、広東虎門の海浜に作られた池のなかに、没収された大量のアヘンが次々と投…

中国100年の屈辱 その1 「円明園の略奪と破壊」

“われわれは自らを文明人と称し、彼らを野蛮人という。しかしこれが、文明が野蛮に対してやったことだ”ヴィクトル・ユーゴー 1860年 円明園の遺跡 BBC Magazine 円明園(英語では通称Old Summer Palace in Beijing)は北京の紫禁城(故宮)の西北8キロ…