フランスの田舎で暮らす

土野繁樹の歴史散歩

パリは燃えているか?(12)その1

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パリの象徴 エッフェル塔                     Wikipedia

 

今年の夏は4年間にわたるナチスの占領下にあったパリが、ドゴール将軍の自由フランス軍と米軍によって解放された77年目の年になる。2年前の75周年記念日には、国家行事として大々的に行われメディアはパリ解放特集を組んでいた。フランス人は誰も、1944年8月25日を屈辱的な占領が終わり、自由が戻ってきた日として記憶している。

パリ解放のドラマは、次になにが起こるか分からないスリリングなことの連続だった。なかでも、ヒトラーの「パリを焦土にせよ」との命令が実行されていたら、エッフェル塔ノートルダム大聖堂ルーヴル美術館凱旋門もこの世から消えていただろう。それを思うと背筋が寒くなる。この大悲劇はドイツ占領軍のパリ司令官フランツ・フォン・コルティッツと中立国のスウェーデン外交官ラウル・ノルドリンクの必死の努力で、紙一重の差でまぬがれた。今回のエッセーでは、光の都を救った二人のことを中心に、パリ解放のドラマの一端を再現してみょう。

パリは燃えているか?』(Is Paris burning?)(1966年、志摩隆訳 早川書房)というドキュメンタリー作品をご存じだろうか。20世紀ノンフィクションの傑作と言われる作品で、1000万部が売れ、仏米共同製作の映画も当たった。作者は当時、ニューズウィーク・パリ支局長のラリー・コリンズ(米国人)とパリ・マッチ誌記者のドミニク・ラピエール(フランス人)。この本は二人の敏腕ジャーナリストが、3年かけて徹底的な調査・取材をして執筆した作品である。

仏独米英の膨大な軍事記録を調べ、関係者800人(そのうち500人の証言を使っている)を取材しているが、彼らのファクトへのこだわりは凄い。たとえば、1960年初めに、二人はドイツのバーデン・バーデンのフォン・コルティッツを訪ね、たっぷり2週間かけて事実関係を確かめ、当時の彼の心境を聞きだしている。それを彼の部下、同僚から裏をとり、さらにノルドリンクに確認している。このコラムを書くために、筆者はこの本を再々読したが、はじめて読んだときと同じ興奮と感動を覚えた。

 

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映画『外交』(2014)                     Gaumont

 

映画『外交』(2014)(邦題:『パリよ、永遠に』)はパリを救ったドイツ軍人とスウェーデン外交官の迫真のやりとりをテーマにした秀作だ。ベルリン映画祭で特別賞をとった仏独共同製作作品で、監督はドイツ人のフォルカー・シュレンドルフ。ドイツ生まれの彼は、17歳のときに両親とともにパリに移住しソルボンヌ大学と映画学校FEMISで学んだ。主要作品にオスカーを受賞した『ブリキの太鼓』(1979年)(ドイツの作家ギュンター・グラスの小説の映画化)がある。

『外交』の冒頭シーンは強烈だ。ベートーベンの交響曲7番が流れるなか、パリ解放の数週間前に、ドイツ軍の猛攻撃で廃墟と化したワルシャワの街の記録映画が写しだされる。瓦礫の山となったポーランドの首都の姿は、明日のパリを暗示する。

スウェーデン総領事ノルドリンクが、リヴォリ街にある高級ホテル・ムーリスの最上階にある、ドイツ軍パリ司令官フォン・コルティッツの執務室に突然入ってくる。二人はフランス人政治犯釈放の交渉で顔を合わせていたので、初対面ではなかったが、司令官は驚き「この厳重警戒の部屋にどうして入ってきた?」と言うと、総領事は「19世紀にナポレオン3世が愛人に会うために作った秘密の階段を登ってきたよ」と答える。時は1944年8月24日の深夜だった。それから、25日の明け方までパリの運命を決める二人の激しいやりとりが交わされる。 

この日すでに、ベルリンから派遣された爆破班が、パリの歴史的建造物、主要駅、すべての橋に爆薬を仕掛け終わりフォン・コルティッツの命令を待っている状況であった。司令官は「45の橋が爆破されると、セーヌ川が氾濫しパリは水没するだろう」と報告を受ける。パリ破壊のときが刻々と迫っているのを知ったノルドリンクは、司令官を説得するために密かにルーヴル博物館に近い司令部があるホテルにやってきたのだった。彼は必死に司令官の良心と理性に訴える。

ノルドリンクは「米軍はもうパリの郊外に迫っている。パリを破壊してもなんの軍事的利点はないではないか、美しいパリの歴史的遺産を地上から消し去り、罪もない市民を犠牲にすることにあなたの良心は咎めないのか」と訴えるが、フォン・コルティッツは断固拒否する。

「自分は軍人だ。父も祖父もそうだった。自分は、これまで命令に背いたことは一度もない。わたしは軍人としての義務を果たす。あなたは、パリ市民の犠牲というが、連合軍のベルリン空爆でドイツの女、子供が殺されているではないか。同じことだ。おひきとり願う」

ノルドリンクが「わたしはあなたに失望した」と言い肩を落とし部屋を去ろうとしたとき、司令官は突然激しく咳こむ。持病の喘息が再発したのだ。「薬をと」頼む彼にそれを渡し助ける。しばらくして、回復した司令官にノルドリンクは語りかける。「将来、あなたは旅行者としてこのバルコニーに立って、パリの街を見ながら“自分はすべての建物を破壊することができた。しかし、人類の遺産として残した”と言うことができる。それは、あなたにとって、すべての征服の栄光より価値あることだと思わないか」

司令官は長い間、沈黙したままだった。そして、静かな声で「あなたは義務をよく果たした。わたしもドイツの将軍として、同じように義務を果たさなくてはならない」と言ったあと胸の内を話はじめる。「わたしは、ラステンブルグの森にある最高司令部‘狼の巣’でヒトラーに会い、パリ司令官に任命された。その日の彼はやつれ果て、顔面蒼白で、目は血走りわめき散らすだけで、これが心服していたわが総統かと思った。その後、ヒトラーが出した‘親族連座法’を知っているか。総統の命令に従わない将官は家族も同罪として処罰するという法律だ。”パリを破壊せよ”と命じられているわたしがそれに従わないと、妻も子供も逮捕され収容所送りになり処刑されるかもしれないのだ」

リンドリンクは反論する「この戦争はドイツに勝ち目はない。あなたは、この美しい首都を焦土にした男として歴史に名を刻まれることになる。それでも狂ったヒトラーの命令に従うのか。戦後、その蛮行でドイツ人は烙印を押され誰も相手にしなくなるだろう。あなたの家族の救出はわたしのルートを使い責任をもってやる。パリはあなたに感謝するだろう」

フォン・コルティッツの心は揺れる。その時すでに東の空は明るくなり、彼の執務室のバルコニーからエッフェル塔が見えていた。司令官はホテルの屋上に上がり、無線を使ってナポレオンの墓があるアンヴァリッド傷兵院の地下で、爆破指令がくるのを待っていた隊長に作戦中止命令をだした。パリは救われた。

二人の俳優が演じるドラマは、気鋭のシナリオライター、シリル・ジェリが脚本を書き2年前に舞台で上演され評判になり、それをシュレンドルフ監督が映画にしたものだ。ニルス・アウスロプ (外交官役)とアンドレ・デュソリエ(司令官役)は舞台でも共演しているが、その演技は圧倒的迫力がある。監督は「この映画で破局を防いだ外交の力を描きたかった」と言っている。『外交』は、8月24日の深夜から翌朝までの将軍と外交官の対決と説得と選択に焦点をあてたドラマだが、優れたフィクションは、半端なノンフィクションより歴史の真実に迫ることができるという好例だろう。映画を見終えて、筆者は’歴史は人がつくるもの’との思いを強くした。

 

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フォン・コルティッツ将軍   Wikipedia    ノルドリンク総領事     Wikipedia

 

パリは燃えているか?』を読むと映画のシーン、会話はほぼこの本からとったことがわかる。例えば、スウェーデン総領事が、司令官に「将来、あなたはっ旅行者としてこのバルコニーに立って・・・」と語る場面は、実際には8月16日に、パリ爆破計画を知ったパリ市長が司令官を訪れたときの言葉だった。喘息の場面も司令官の拒否の言葉「軍人としての義務を果たす」も創作ではない。

世界一美しい都市がヒトラーから‘死刑宣告’を受け、どんな経過を経てその破局が回避されたかを、この本は詳細かつ鮮明に再現している。

ワルシャワが廃墟と化した頃、ノルマンディ上陸に成功したアイゼンハウワーはパリ進攻はやらないと最終決断をした。彼はドゴールがこの方針に断固反対するは百も承知していた。しかし、24頁の軍事顧問の報告書は「もしドイツがパリを死守する決意を固めたならば、スターリングラードのような長期にわたる市街戦でパリを破壊しくすだろう」と予測していた。それと配下の師団の四分の一はパリ350万人の民生に向けなくならず、貴重なガソリンも消費する。彼にとって最も貴重だったのはガソリンだった。パリ進攻が少し遅れても仕方がない

一方、ドゴールは1940年6月18日ロンドンから破れた同胞に呼びかけた祖国解放の約束を実現させるのは、パリであることを誰よりも知っていた。その夏、彼の政敵は第一にフランスの共産党で、第二は、連合国軍、とくにアメリカ人であった。アメリカ政府のヴィシー政権承認、米軍の北アフリカ上陸を事前に通知せずなど、ルーズベルト大統領とドゴールとの個人的関係が悪化し、彼のフランス国民解解放委員会を臨時政府として承認することを大統領が拒否するという最悪の関係にあった。大統領には自分の承認しない政府がパリで政権をとることは許せないと考えていたのだ。しかし、ドゴールには自らの政権を樹立したいという不退転の決心があった。この対決がどう展開したかが「パリは燃えているか?」の大きなテーマである。(続く)