フランスの田舎で暮らす

土野繁樹の歴史散歩

米中激突 : ニューヨーク・タイムズ紙が伝える

フィリップ・P・パン アジア総局長     写真撮影ブライアン・デントン

西側は中国のアプローチがいずれ失敗するだろうと思っていた。
しかし、それは見事に当てが外れた。そして、今なお待ち続けている。

 

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過去のパワー:長征の制服を着る航空宇宙界の労働者

莫干山会議

 

毛沢東が亡くなり、中国の未来が不確かだった頃、経済学を専攻する学生グルーブが、上海の郊外にある山荘に集まった。それは、共産党に率いられた中国が産業界の巨人になり、破竹の勢いで世界を再編する以前の、遥か昔のことである。莫干山の竹林で行われたその会合で、若い学者たちは「いかにして、西洋に追いつくか」という宿願のテーマに取り組んだ。

時は1984年の夏だった。そのころ米国では、ロナルド・レーガンが「アメリカの夜明け」を約束し、一方、中国では数十年にわたる政治的、経済的大混乱が収束し、再建への道を歩みはじめていた。農村地帯では進歩が見られたが、総人口の4分の3以上が最貧困の暮らしであった。国家はすべての市民の職場、すべての工場建設、すべての品物の値段を決めていた。学術シンポジュームに参加しているのは、若いエコノミストであった。彼らは市場パワーを解き放したかったが、それが経済破壊になることを心配し、経済を支配する党官僚とイデオロギー信奉者を刺激することを懸念していた。

深夜に彼らは意見の一致をみた。その合意は、工場は国家が定めたノルマを達成すれば、それを超える製品については、自ら価格をつけて販売できる、というものだった。これは計画経済の力を削ぐ、賢明で静かだがラディカルな提案だった。部屋にいた経済には素人の党の若手官僚の一人は、その提案を面白いと思った。現在、76歳で引退している徐景安は、その会議を回想している。「彼らが討議をしている間、わたしは一言も発言しなかった。しかし、その席で、どうすればこの案を実現化するかを考えていた」

中国が学んだ“二つの教訓”

 

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世界は中国が変わると思ってきた。しかし、中国の成功があまり
に凄かったので、世界を変えた。

 

現在、中国は自宅所有者、インタ―ネット利用者、大学卒業生数、おそらく億万長者数でも世界をリードし、最貧困層は1%以下(世界銀行2015年)になっている。孤立し貧しい後進国が、いまやソ連崩壊後、アメリカ合衆国に対抗するライバルに変貌した。

画期的な競争が進行中である。習近平主席は海外では自信たっぷりの外交を展開し、国内ではコントロールを強化している。トランプ政権は中国に貿易戦争を仕掛け、両国が新冷戦に突入する可能性もある。一方で、北京での関心は、もはやいかにして西に追いつくかではなく、アメリカの敵意に直面する新局面で、いかにして追い抜き、引き離すかにある。

歴史家にとってこのパターンは、新興国が覇権国へ挑戦するプロセスで、数々の厄介な問題が生じるという、お馴染みのものだ。何十年にもわたってアメリカは中国の発展を奨励し助けてきた。アメリカは中国のリーダーと国民と共に、世界で最も重要な経済関係を建設してきた。両国はその恩恵を被っている。

この間、8人のアメリカ大統領は、中国はいずれ近代化の法則にのっとった国になるだろうと考え、それを望んでいた。彼らは、繁栄は市民の政治的自由の要求に火をつけ、中国は民主国家陣営の一員になるだろう、そうでなければ、中国経済は独裁と官僚の腐敗の重圧で弱体化するだろう、と思っていた。

しかし、どちらのケースも起こらなかった。その代わりに、中国共産党のリーダーは繰り返し予測を裏切った。彼らは資本主義を抱擁したが、引き続き自らをマルクス主義者と呼んでいる。彼らは権力を保持するために弾圧したが、企業家精神とイノベーションを妨げなかった。中国は敵とライバルに包囲されているが、彼らは国内ではナショナリズムを煽ったが、対外戦争(例外は1979年の中国の対越[ベトナム]戦争)は避けた。彼らは、過去40年間、途切れることなく経済成長を主宰した。しばしば、その手法は、教科書では失敗するといわれている異端の政策であった。

2018年9月、中華人民共和国は、ソ連邦の寿命を超えるという重要な標示を越えて、建国69年を祝った。そして、中国はライバルを大きく引き離し、世界最大の経済超大国の道を歩んでいるように見える

世界は中国を変えることができると考えていた。事実、この国は多くの面で変貌した。同時に、その成功があまりに劇的だったので、世界を変えることになった。そして、世界が動くシステムに関して、アメリカの理解をも変えている。

中国のリーダーが、どのようにしてシステムを作動させているのか、の答えは単純ではない。洞察力、幸運、手腕、激烈な決意が、成功の背景にあったが、おそらく最も重要な要素は恐怖であった。天安門事件ソ連邦崩壊のあと、毛沢東の後継者が抱いた危機感は消えることはなく、かえって強くなった。

毛の大失敗と決別した以降でも、中国共産党員は、かつてのイデオロギーの盟友モスコウの運命に異常な関心を寄せ、その失敗の要因を学ぼうとした。彼らは2つの教訓を引き出した。第一は生き残るためには党は“改革”しなくてはならない、第二はその“改革”は民主化を決して含まない、というものだった。

2つの事件以降、中国はこの競い合う衝動の間―開放と締め付け、変革の試みとそれへの抵抗―で揺れながら航海してきた。そして、どちらかの衝動が行き過ぎて、座礁する前にうまく舵を操った。

それにストップをかけようとしているアメリカを相手に、上昇を続けることができるかは、まったく別の問題だ。

党官僚が資本主義者に

 

莫干山会議の参加者の誰も、中国の離陸を予測することは出来なかった。それ以上に、来るべきブームに、彼ら自身が果たす役割の予測など論外のことだった。彼らは騒乱の時代から抜け出たが、外の世界からほとんど孤立していたので、直面する挑戦への準備などしていなかったのだ。成功するには、党はイデオロギーの衣替えをし、ベスト&ブライテストの官僚にそれを実施させるしかなかった。

例えばジャーナリズムを専攻した前述の76歳の徐景安は、何百万人の人々が追放、迫害、殺害された、毛沢東の狂乱の文化大革命の時代に、“幹部学校”に放り込まれ、数年間、肉体労働をしながら、軍将兵マルクス主義を教えた。毛が死んだあと、彼は国家調査機関の経済再建のリサーチをする部署に配属された。彼の最初の仕事は、工場の決定権をいかにして、強化するかであった。彼は、これにまったく門外漢であった。しかし、彼は後に経済政策の立案者として名高い経歴を歩むことになる。四川省で中国初の株式市場を発足したのは、彼だった。

莫干山会議の若き参加者のひとり周小川は、のちに中国の中央銀行中国人民銀行総裁として15年間活躍した。楼継偉は国家資産ファンド長官となり、最近、財務長官を辞任した。農業のスペシャリストであった王岐山は、このグループのなかで最も高い地位についた。

中国初の投資銀行を創設した王岐山は、アジア金融危機を巧みに乗り切り、北京市長として2008年のオリンピックを主催し、最近のハイリスクの党の腐敗撲滅キャンペーンを主導した。現在、彼は習近平に次ぐ国家副主席である。

莫干山の男たちの経歴は、中国成功の軌跡と鮮やかに重なる。これは、党官僚が資本主義者へ変貌する姿を示している。

経済成長の障害であった官僚が、成長の原動力になったのだ。かつては、階級闘争と価格統制に取り組んでいた彼らは、現在、投資と私企業を奨励している。いまや、中国の省、市、県の官僚のトップは、海南省三亜市長、厳朝君のようにビジネス・プロモーションの最前線にいる。「レゾート・タウン三亜は、ビジネスと外国企業の投資にとって、良き執事、乳母、ドライバー、清掃人でなくてはならない」と彼は言う。

これはソ連の運命を回避したという点で、見事な変身だった。ソ連も中国も巨大なスターリン主義の官僚が、チェックなしに権力を行使し、特権を脅かすことに抵抗し、経済発展を抑え込み支配する国だった。

ソ連邦最後のリーダー、ミハエル・ゴルバチョフは、政治システムを変革することで、官僚の経済支配を打破しようとした。あれから何十年経つ今でも、中国の役人は、なぜそれが過ちであったかを教室で学んでいる。2006年、党はそれをテーマにしたドキュメンタリー・シリーズを制作し、全国に配布した。そのマル秘DVD番組を見ることが、すべての国家公務員の義務になっている。

政治の開放は怖いが、現状維持ではだめだと考えた党は、莫干山方式を選択した。それは、当初は計画経済には手をつけず、徐々に市場経済システムを導入し成果を挙げ、計画経済を骨抜きにするという方式である。

党幹部はこの急がず廻れの方針を“石を踏みながら川を渡るアプローチ”と言う。例えば、農民はその収穫作物を自由に販売できるが、土地は国有のままとする、投資の規制撤廃は「経済特区」に限り、国内のその他の地域は従来どおりとする、国有企業を民営化するにあたって、その売却は当初は少数株主とするなどである。

徐景安は「抵抗があったね。改革派と反対派の双方を満足させるのは芸術だった」と言っている。

科挙制度の復活

 

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上海の学生は世界を凌駕する

 

アメリカの経済学者はこの方式に懐疑的だった。その理由は、市場経済の導入は早急にやるべきだ、時間をかけると、官僚組織が結束して改革を阻止することになる、だった。1988年、中国を訪れたノーベル経済学賞学者、ミルトン・フリードマンは党の戦略を「腐敗と非効率を誘発するだけが」と言った。

しかし、中国は官僚の抵抗勢力をかわすのに、奇妙だが好都合な状況にあった。当時は、文化大革命の暗黒期が終わって間もない頃だったので、官僚組織が破壊され大混乱に陥っていて、毛沢東独裁のあとの後継者、鄧小平はその状況のなかで、開放的な党にするという根本的改革に手をつける、という背景があったのだ。

鄧の党改革のひとつは、若い官僚をアメリカなどに送り、現代経済の仕掛けを学ばせることだった。大学留学や短期研修旅行をして帰国した彼らは、その体験と知識を他の人々と共有し、党は彼らを昇進した。同時に党は教育に投資し、義務教育と大学へのアクセスを拡大し、文盲をなくした。

批評家の多くは、試験と暗記に重点を置き、政治的束縛があり、地方の学生に不利な中国の教育システムを批判する。しかし、現在、中国はアメリカ、日本、韓国、台湾を合わせたより多い、科学技術系の卒業生を輩出している。上海などの都市で学ぶこどもの学力は世界一である。

しかし、こどもが豊かになり、その社会的地位の向上を願う、親たちはこれで満足していない。中国では伝統的に教育が重視され、試験にパスすることが富と地位に通じる道でもあった。その伝統は変わらず、社会が豊かになったこともあり、国立大学入試は激烈な競争になっている。合格を目指すほとんどの学生は、放課後、予備校に通っている。ある調査によると、予備校ビジネスは年間1250億ドルで、それは軍事予算の半分にあたるという。

 

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大学試験の結果を待つ親たち Visual China Group,via Getty Images

 

党の変貌を説明するカギは官僚の手法である。専門家は、党は経済改革を推進したが、政治改革はやっていない、と言う。しかし、毛の死後に党は、自由選挙と司法の独立以外の分野で、改革をしている事実は重要だ。

党は公職にある党員の任期と退職年齢を引き下げたが、それは無能な官僚を排除する手段にもなっている。また、地方幹部の昇進とボーナスを査定する、評価方式を経済目標達成に絞る改正をした。

これらは微調整のように見えるが、個人の責任と競争原理を政治システムに導入したと言う意味で、そのインパクトは大きい、とミシガン大学政治学者、洪源遠は語る。彼女はまた「民主的特質のある専制主義という独特のハイブリッドを作った」とも言う。

景気が良くなると、官僚は経済成長ばかりに気を取られ、しばしば環境汚染、労働基準法違反、汚染食品、不良医療品などの問題を無視してきた。税収が増えると彼らのボーナスは膨れ、親類縁者、友人だけでなく、自らの懐を潤すチャンスがいくらもあった。一群の官僚が国家を捨て、ビジネスの世界に鞍替えした。かつての党エリートは、自らが管理していた国有財産の民営化を推進する過程で、巨大な富を蓄積した。

現在、民間セクターは全国各地で国家の経済総生産高の60%以上を生産し、総雇用の80%を占め、新規雇用の90%を創出している。昨年、党の大物が、官僚はできるだけ口をださないようにしている、と言っている。

中国のマットレス製造企業ミリリーの創立者で会長の倪張根は「実は、わたしは彼らに、1年に一度も会わないこともある。働き口を創り、税金も払っているのだから、彼らはわたしの邪魔などしない」と言っている。

しかし、習近平国営企業補助金をつけて支援する一方で、外国企業との競争を避けるための障壁を維持している。さらに彼は、アメリカ企業の中国内マーケット参入の代償に、各社のテクノロジー提供の要求を容認している。

これは中国の変貌を示している。習は将来、世界経済をリードするプレーアーになることを狙っている。換言すれば、未来のハイテク産業を支配する国有企業を育成して米国を出し抜く魂胆だろう。しかし、これはワシントンの反感を呼び起こした。

華僑の貢献

 

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賃金の上昇は中国を消費社会にした。

 

共産党は12月に中国を変貌させた「改革開放」政策の40年周記念を祝う。すでに、習近平を前面に押し出した意気揚々のプロパガンダが繰り広げられている。それは、まるで勝利宣言のようだ。

習近平は鄧小平以来、最も強力なリーダーだ。彼の父親は鄧の部下であった。習は鄧の遺産を守る継承者のように見えるが、重要な点で違っている。鄧は、党は海外からの支援と専門知識を求めることを奨励したが、習は自立を強調し“海外の敵対的勢力”による脅威に警告を発している。

換言すれば、習は鄧のスローガン「開放」を全面的に活用しようとは思っていないようだ。

経済成長のために党はいくつものリスクを負ったが、その中で最大のリスクは、おそらく海外からの投資であった。当時の中国は現在の北朝鮮のように孤立していたから、並外れた賭けであった。その賭けは見事にあたり、見返りは並外れて大きかった。

そして、この国は世界に広がるグローバル化の波に乗り、世界の工場になった。限界はあるにしても、中国のインターネット信奉は、テクノロジーのリーダーへの道を切り拓いた。外国のアドバイスによって中国の銀行、法体制、近代企業は変身を図っていたのだ。

しかし、今日の共産党のリーダーは、この間の経済成長ブームを“中国人独自の力”によるものと考えがちだ。しかし、これは中国興隆に関する極めて大きなアイロニーを、人目につかぬところに追いやっている。というのも、事実はかつて敵であった人々の手助けがあったからだ。

共産党が繰り返し中傷していたアメリカと日本は、主要な貿易パートナーとなり、援助、投資、ノウハウの源泉となった。本当に流れを変えたのは、1988年にはじめて訪米した工場経営者のトニー・林のような人々だった。

林は台湾で生まれ育った。少年時代に彼は、学校で大陸中国は敵国だと教えられていた。しかし、中国は彼の人生を変えることになる。1980年代、台湾でス二―カー工場を経営していた林は、労働者不足に悩んでいた。

そのとき、彼の最大の顧客であるナイキが、中国での一部生産を勧めたので、彼は不安を抱きながら、台湾海峡を渡った。大陸中国で彼が発見したのは、大量のやる気のある労働者と官僚の、投資とノウハウ導入への熱意だった。おどろいたことに、役所は工場の無料提供と5年間非課税を約束してくれた。

林はその後の10年間を、台湾と中国南部の間を頻繁に往復することになる。何か月も大陸で過ごしたあと、妻と子どもに会いに短期間帰国するという人生が続いた。彼はその間、5つのスニーカー工場を新設し経営した。その中にはナイキの中国での最大の供給工場がある。

林は「中国の政策はもの凄かった。彼らは資本、技術はもちろん、スポンジのようにすべてを吸収していた」と当時を回想している。林の活動は、香港、台湾、シンガポールなどの華僑による大陸中国への投資の奔流の一部であった。華僑がいなかったら、中国の大変貌はなく、インドネシアやメキシコのレベルに止まったのではないか、と言うエコノミストもいる。

華僑の中国進出のタイミングも良かった。中国は開国したばかりで、台湾の華僑はグローバル化による市場の拡大に対応して、海外展開を求めていたからだ。中国は資本だけでなく、経営ノウハウを学び、テクノロジーを導入し、世界の顧客との関係をつくることができた。中国の急発進を促した台湾の資本主義は、この国をグローバル経済のプラグに接続する役割を演じたと言える。

“ぎっこん、ばったん”

 

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共産党全国代表大会:党の成功があまりに目覚ましいので、習はこれまで
以上に専制に頼ることが良いと考えているようだ。

 

ある時期、台湾政府はかつての敵に過剰に依存すことを心配して、投資先の転換を計った。しかし、大陸はあまりに安く、あまりに近く、言葉と伝統は共通で、親しみがある。林はタイ、ベトナムインドネシアで工場新設を試みたが、いつも帰ってくるのは中国だった。

現在、台湾の中国への依存度はますます高まっている。その状況下、強大中国は台湾併合の圧力を強めているので、この島の将来は不確かだ。世界各地から、台湾の苦境と同様の悲鳴が聞こえてくる。多くの国が、北京の投資と貿易関係を早急に推進することを、再考し始めている。

中国をWTO(世界貿易機関)に誘い、この国の最大の顧客になったアメリカは、最も自責の念に駆られているようだ。いまや、アメリカは中国の大規模なハイテク盗用(ある高官は”歴史上、最大の富の移転“と言う)を非難している。

ワシントンの多くの人々は、貿易は政治を変えると予測していた。世界各地で事実そうなった。しかし、それは中国では起こらなかった。開放は権力を弱体化するどころか、むしろ強化することになった。貿易の巨人となった中国の興隆のショックは、世界中の工場のある町で感じられた。

その結果、エコノミストによると、アメリカで少なくとも200万の職が消滅したという。そして、失業者の多くは、大統領選でトランプに投票した。

北京の中心街のマンションビルの50階にある、豪華なプライベート倶楽部のランチの席で、中国で最も成功した不動産ビジネスの大物が、天安門広場での学生による民主化運動の弾圧のあと、政府研究機関を辞めた理由を話した。

世界を相手にビジネスを展開している馮侖は「それは簡単な理由だったね。ある日、目が覚めるとみんな逃げていた。だから、わたしも逃げたというわけだ」

兵士が発砲するまでは、彼は公共機関で生涯働こうと思っていた。ところが、党は学生に同情的だった人間を排除しはじめたので辞職し、1990年代の“エクソダス官僚”から企業家へ転身した一人となった。

「あの頃、会議を開いて、官僚もビジネスの世界へ行けと言われても、行かなかっただろうね。だから、あの事件は意図せずに、市場経済の種を蒔いたことになるね」

左様にして、党の成功は“ぎっこん、ばったん”によるところが大きい。

鎮圧の処方箋

 

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中国は過去何十年にわたって、ウィグル族についても開放と締め付け
を繰り返してきた。

 

1989年の民主化運動は毛の死後、党が政治開放に最も接近したときで、それに続いた弾圧は、抑圧と統制の方向へ最も傾いたときである。虐殺のあと、経済は失速し縮小するように見えた。しかし、3年後の鄧小平の南巡で、党を「改革開放」路線に再び引きずり戻した。

これで、馮侖のように、かつて政府を去った多くの人々が、突然、第一世代の企業家として外部から、国家の変容をリードする立場になったのだ。

今、習近平は、社会を統制し、自らに権力を集中し、主席の任期を撤廃し、生涯統治体制で、再び抑圧の方向に党の舵をとろうとしている。党は天安門事件の数年後に手綱を緩めたように、再びそうするのだろうか。いや、そうはならず、現在の路線は長期間続くのだろうか。もしそうなら、それは中国経済の奇跡にとってどんな意味をもつのだろう。

習の怖さは、中国興隆の背後にあって、より厳しい鎮圧の処方箋の書き換えを試みることだろう。

党は、誕生したばかりの反政府団体、精神運動、ノーベル平和賞の反体制作家などの、潜在的脅威への警戒態勢を緩めたことはない。しかし、いくつかの例外を除いて、経済成長維持のため市民の自由を大幅に容認し、個人の生活に干渉することはなかった。

例えば、自由と干渉のバランスと言う意味で、インターネットがいい例だ。党はオンラインを容認したとき、党にとって不都合なことは検閲し、経済に貢献をするという方針だった。しかし、なにが起こるかをまったく予測してなかった。

2011年、党は危機に直面する。中国東部で起こった高速鉄道の列車衝突事故のあと、3000万の人々がインターネットで党の事故への対応を批判した。これは検閲官がメセッージを削除するより早く伝わった。

パニックに陥った党官僚は、人気抜群の中国版フェイスブック「微博」の閉鎖を検討したが、大衆の反応を恐れて継続を決めた。その後の対応策は、検閲強化のための予算措置と、インターネット企業への自己検閲の強化命令だった。

妥協は機能した。現在、企業は多くの社員を自己検閲にあたらせている。そして、いまや中国はインターネット・ビジネスの世界の巨人である。インターネット産業のパイオニアは「インターネットが創りだす偉大な価値に比べれば、検閲のコストはたいしたことはない。われわれは経済発展のための情報を得ることができるのだから」と言う。

もう一度、中国は予測を覆す

 

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毛の時代、教育のある者は“幹部学校”に送られ肉体労働に携わった。
今では、これらの不動産業界の若者はチーム力養成のための、朝のラ
ンニングに励む。

 

中国は自由市場と専制を共存させている国だが、世界唯一というわけではない。しかし、これほどの規模で、長期にわたり、誰もが認める成果を挙げている国はない。

問題は、中国が米国をパートナーではなく敵国としてあつかった場合、どこまで現体制を維持できるかだ。

貿易戦争は始まったばかりだ。貿易戦争だけではない。アメリカの戦艦と航空機は、紛争海域における中国の権利の主張に挑戦をしかけている。中国の軍事予算の増強による対応に応じて、アメリカはその挑戦の頻度を上げている。そして、ワシントンは北京の世界的影響力の増大に応じて、そのグローバル・インフラ建設には中国の“正札”がついていることに警告を発して対抗している。

両国は和解するかもしれない。しかし、アメリカの左も右も、中国が独裁的価値観を是認し、フェアーな競争を傷つける、代替グローバル勢力のチャンピオンとして認めている。現在のアメリカではこの意見の一致は珍しい。あらゆる面で意見が分かれ、過去の海外での権力の行使、現段階の権力の行使のありかたまでが問われているからだ。

習近平はといえば、彼が言う“中国国家の偉大なる若返り”路線をあきらめる兆しがまったくない。彼の側近の中には、アメリカを相手にしてやろうか、とうずうずしている連中もいる。というのも、2008年の金融危機以来、トランプ政権の政策、アメリカは中国の台頭を押しとどめようとしている、は彼らが常に疑っていたことの証拠になるからだ。

同時に、中国で敬愛と羨望の対象であったアメリカがおかしくなり、その上、党の成功の定式への懸念が重なり、国民の間で現状への痛烈な不安が広がっている。

習近平は彼自身が,党は“新しい時代”に入っている、したがって新しい方法で対応すると宣言している。しかし、彼の処方は大抵の場合、イスラム教の少数民族を広大な強制収容所に収容するという、先祖返りである。習の“開放”は外からの大きな融資による一撃であるといわれる。批判者によると、これは略奪で他国への政治干渉をする手段である。国内では、実験はだめで、政治的慣行と規律は許される。

事実、習の成功はあまりに目覚ましいものなので、党はこれまで以上の専制に頼ることが良いと、彼は考えているように見える。アメリカに追いつき、追い抜くためには、それしかないと考えているのではないか。

確かに、勢いは党にある。過去40年間で、中国はアメリカに比べて10倍の成長を遂げている。そして、現代でも2倍以上の成長を続けている。党は大衆の大幅な支持を得て、世界中の多くの人々は、トランプが退却しているとき、中国の時代が始まっていると確信している。

しかし、もう一度、 中国は予測を覆すことになるだろう。(土野繁樹訳)

 

フィリップ・P・パンはニューヨーク・タイムズ紙のアジア担当責任者で『毛の影を超えて:新しい中国の魂のための闘争』の著者である。彼はこれまでほぼ20年間にわたって中国報道をしてきた。ジョナサン・アンスフィールドとケイス・ブラドシ―アは北京から寄稿し、クレア・フーとアイリス・ザオは北京から、上海からはカロライン・ザングが調査をした。

 

 

改革開放から40年たって        土野繁樹 

 

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前に鄧小平の像がある、改革開放40周年記念を祝う深圳市。Lam Yik Fei 
The New York Times

 

「中国が支配する」はニューヨーク・タイムズ紙のアジア総局長のフィリップ・P・パン(潘公凱)が、取り組んだ1年がかりの大型企画である。パンの米中激突は昨年11月に刊行され、そのあとテーマによって同僚たちが4回に渡って連載している。筆者は同紙の特集すべてを読んで、アメリカのメディアの中国特集の底の深さと幅に圧倒された。

パンはニュー・ジャージー州生まれの中国系アメリカ人で、ハーバード大学を卒業してワシントン・ポスト紙、ニューヨーク・タイムズ紙の中国担当記者 20年のベテランだ。彼は2008年に『毛の影を超えて:新しい中国の魂のための闘争』を書いて、英国エコノミスト誌のその年の最高賞をを受け、ニューヨーク・タイムズ紙のミチコ・カクタニは書評で「この本には、一級の報道の緊急性と小説の感情の深さがある」と称賛している。

米中激突は米中貿易戦争の歴史的背景でもある。この1-2年間で、アメリカの対中姿勢は変わった。トランプの政策が米国を真っ二つに割るなかで、対中強硬論については共和党民主党も一致している。

なぜアメリカが変わったのか。ニクソンの対中外交以来の“貿易で豊かになれば、国民は政治的権利を要求し、民主主義が成立する“という信条が見事に覆されたからだ。中国は豊かになったが、ますます国内は専制的になり、対米貿易では技術スパイの停止、知的財産保護で”約束を破り“膨大な貿易黒字3233億ドルを貯めている。

中国は習近平の登場で変わった。パンは習近平専制への先祖帰りに危険を感じている。習は権力を集中し、生涯主席体制を築き、再び抑圧へ舵をとっている。通商だけではない。2049年には世界一の軍事大国になるという習近平外交政策についても、アメリカは警戒心を募らせている。次世代通信技術G5をめぐるファーウェイ事件はその象徴的な出来事だ。貿易戦争を回避できても、このままでは21世紀の覇権国と挑戦国の軍事・政治対決の流れを止めることにはならないだろう。

米中貿易戦争についての論評をひとつ紹介しておこう。英国人ジョージ・マグナスはLBS投資銀行の上級顧問で、現在はオックスフォード大学の研究顧問である。彼はRed Flags: Why Xi’s China Is in Jeopardy (Yale University Press, 2018)(『紅旗:なぜ習の中国は危険なのか』)を出し注目を浴びている。この見解はアジア財団のチャイナ・ファイル(2018年9月)に出たものだが、習近平が万全の体制で交渉に臨んではいないようだ。以下を引用する。

習近平の地位は安全であっても、知識人は声高になりつつあり、政治ライバルは彼の権威、リーダーシップのスタイル、戦術に疑問を投げかけてくるかもしれない。とくに、貿易戦争においてそうだ。この問題は、中国の技術と工業政策という基本問題にかかわり、その速度が加速している。たとえ、貿易戦争がGDPに与える影響がたいしたことがないにしても、今、中国で起こっている景気の減速はタイミングとして悪い。拡大しつつある家計、企業、金融機関の債務過多の存在を危うくし、とくに市場と人民元への影響が気になる。

 

このコンテキストで習の指揮と命令に注目すべきだ。彼の地位がこれほど高位(神業にちかい)に上がったのは、“新時代”に遭遇して、貿易戦争に腹をたてている人々に新しい方法を提供できることだった。彼には、不安定な政策、支離滅裂、非効率が根拠のないことだ、と説明する必要がある。改革と開放は生きており、その目的達成の意志は明白だ。しかし、それを実現するための証拠はない。

さて、貿易戦争をしかけたアメリカ側の体制はどうなっているのだろう。日本経済新聞の秋田浩之が“対中強硬、米国に4つの顔”(2019年1月23日 )という明快な分析をしている。米国には経済ナショナリスト(ライトハイザーUSR代表とロス商務長官)と安全保障優先派(シャナハン国防長官代行)がいてこれが主流で、あとは少数派の穏健派と敵対派がいる。

主流両派は対中強硬論では同じだが、同盟国への対応では水と油の違いがある。安全保障優先派は同盟国と協力して、中国が軍事、政治的影響力を広げることを防ぐが、経済ナショナリストは対米貿易赤字を抱える日本、EU、韓国も敵視し、制裁も辞さない。となると、同盟をお荷物と考えているトランプは、経済ナショナリストの立場をとるだろう。「制裁を浴びせ続ければ、同盟国の手を借りなくても、中国に言うことを聞かせられる」と信じているらしいトランプの立場を、秋田浩之は危いと考えている。

それにしても、トランプが二期まで続くかという問題もある。中間選挙で負けて下院は民主党がとっている段階で、モラー特別検査官の捜査報告書の結果が悪ければ、彼はどう対応するのだろう。一方、習近平は永久国家主席だから時間はある。しかし、今回の交渉は3月1日が締め切りだ。

そもそも、トランプのメキシコ壁建設と習の一帯一路計画を比べると、比較にならないほど小さい。交渉とは関係はないが、両国の外交のあり方を考えると、中国と本格的に戦えないのでないか、と思ってしまう。

これはさて置き、米中会談はどうなるのだろう。トランプは3月1日に、中国製品2000億ドルに関税10%を25%に上げるのは延期して、その後、取れるものは取る姿勢でいくのではないだろうか。ブルームバーグ紙は“米国は対中関税期限の60日間延長を検討”と報じている。

 

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トランプは習との友情について語る。しかし、二人の間の緊張は増している。
Doug Mills The New York Times

 

筆者は“米中激突”を読んでいて思いがけない一節に遭遇した。中国興隆の背景にはリーダーの洞察力、幸運、手腕、決意があったが、最も重要な要素は天安門事件ソ連邦崩壊の体験であったという点だ。「第一は生き残るためには党は“改革”しなくてはならない、第二はその“改革”は民主化を決して含まない」というものだった。

これは、“政治は共産党にまかせろ”ということだ。それでも、党は開放と引き締めを交互に使い、どちらか一方に傾くことを避けてきた。政治以外は、党は普通の人々の生活には不干渉だったが、習近平の党がすべてを決める方針で、共産党は質的に変わった。2月14日、北京オリンピックの総合演出家で映画監督の張芸謀が、ベルリナーレに出典した文化大革命をテーマにした“One season”(ある季節)が、開幕前日に“技術問題”で引き下げられた。北京の党中央宣伝部の介入だと思われている。

2018年12月、改革開放40周年の式典で、習近平共産党の指導による「中国の特色ある社会主義」を40回も繰り返した。これは、ペンス米国副大統領の痛烈な中国批判演説への回答だった。ペンスは中国による罪状を挙げ、米国は彼らと戦うと宣言する“新冷戦”の始まりとでも言える重要な内容だ。

習の背後には、アリババ集団の馬雲、テンセントの馬化謄、百度の李彦宏が座っていた。中国を代表する3人のIT企業のトップである。人々は彼らもまた一党独裁下に組み込まれている気配を感じた。

中国のIT部門の急成長は凄まじい。人工知能分野でグーグルのエリック・シュミット会長は「20年で中国は米国へ追いつき、25年で追い越し、30年で産業を独占するだろう」と予想している。

米中貿易戦争への余波もでている。アリババは米国からのAI半導体の供給が停止される場合を考えて、独自開発に乗り出している。

ブルッキング研究所によると、「米国主導システムと中国主導システムで世界は二分されるリスクが高まっている」という。

米中激突は始まったばかりだ。

 

筆者はこの記事を書くにあたって、以下のエッセイにお世話になりました。米国のニューヨーク・タイムズ紙のフィリップ・P・パン アジア総局長と写真撮影ブライアン・デントンに感謝いたします。Part 1”The Land That Failed to Fail” Philip P. Pan2018・11・18, 、また同僚の皆さんの寄稿にも感謝です。Part 2“How China’s Rulers Control Society: Opportunity, Nationalism, Fear” Amy Qin and Javier C. Hernandez2018・11・25, Part 3 ”Money and Muscle Pave China’s Way to Global Power” Peter S. Goodman and Jane Perlez 2018・11・25, Part 4”China‘s Economy Became No. 2 by Defying No.1” Keith Bradsher and Li Yuan 2018・11・25, Part 5” The Road to Confrontation” Mark Landler 2018・11・25, “競い合う国家観、経済相互依存揺さぶる”米中衝突 ハイテク覇者、日本経済新聞 2019・2・8

 

 

 

フランス田舎暮らし ~ バックナンバー1~39


著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。