フランスの田舎で暮らす

土野繁樹の歴史散歩

2016-01-01から1年間の記事一覧

歴史探訪 その14 ニクソンと毛沢東 1972

NIXONMAO Nothing New Since Nixon Met Mao Transmition6-10 1969年1月、ホワイトハウスの主になって1週間後、リチャード・ニクソン大統領はヘンリー・キッシンジャー安全保障担当補佐官を執務室に呼び、以前から構想していた対中和解政策を説明し、中国訪問…

歴史探訪 その13 毛沢東の実像

Andy Warhol 作 Wikipedia 筆者の中国現代史の師匠は米国コルビー大学の先輩ジョン・ロドリック(1914-2009)さんだった。ジョンはAP通信のナンバーワンの中国通として、40年間、洞察に満ちた記事を世界に送り続けた。彼は延安時代の革命指導者をよく知る数…

歴史探訪 その12 毛沢東の文化大革命

映画「毛沢東は永遠に我らとあり」のポスター Wikipedia どの国にも狂気の時代がある。日本の場合、戦前の軍国主義の時代がそれにあたる。文化大革命の10年は、中国の狂気の時代であった。今年は毛沢東がはじめた革命50周年にあたる。 1966年8月18日午前5時…

中国100年の屈辱 その11 1937 辺見庸

蔣兆和 「流民圖」 1943年作 Trois Mille Ans de Peinture Chinoise 南京事件を中国人の眼で見ると、どう見えるか。作家、堀田善衛は、それを小説『時間』(1955)で試みた。大虐殺事件を被害者の眼でみると、どんな光景が現れ、日本人の言動がどう見え…

中国100年の屈辱 その10 1937年 南京の生き仏

犠牲者の顔写真ククリーン 南京大虐殺記念館 南京事件は、おそらく日本の歴史のなかで最も恥ずべき出来事であった。「聖戦」の名で、書くのも語るのも憚られる蛮行が行われたことを、いまでは多くの日本人は忘れている。そして知らない。知っているにしても…

中国100年の屈辱 その9 1937年 南京事件

南京入城式 1937年12月17日 南京陥落から4日後の1937年12月17日、日本軍による盛大な南京入城式が行われた。東京朝日新聞は翌日の夕刊でその模様を次のように報じている。 午後1時半松井大将を先頭に朝香宮殿下を始め奉り柳川部隊長,各幕僚は騎乗…

中国100年の屈辱 その8 1936年 西安事件

西安の蒋介石(左)と張学良(左) 1936年12月 1936年12月4日、陝西省の首都、西安の飛行場に20人の護衛に守られた蒋介石と幕僚が到着した。西安は唐の時代に長安と呼ばれ、世界で最も美しく豊かな国際都市であった。1300年後の西安は、シルクロードで…

中国100年の屈辱 その7 蔣介石の革命

中国統一のシンボル「青天白日旗」 1960年代前半、筆者が学生だった頃、毛沢東は人気があった。当時、中国に関心がある若者は、米国のジャーナリスト、エドガー・スノーの『中国の赤い星』(1937年刊の戦後の邦訳)を読み、毛沢東とその同志のファンになった…

中国100年の屈辱 その6 孫文と宮崎滔天②

辛亥革命1911(映画) 香港・中国共同製作 2011年 成龍英皇影業有限公司 1900年9月末、孫文は平山周を伴って台湾へ向かった。間もなくはじまる広東省恵州蜂起への武器支援を、台湾総督の児玉源太郎に申しいれるためであった。台北での会見で、児玉は中…

中国100年の屈辱 その5「孫文と宮崎滔天」①

辛亥革命 南京太平門の戦い 1911年 T. Miyano画 . Wellcome Library 1897年8月下旬、宮崎滔天は友人、陳少白の横浜外人居留地の宿泊先で孫文にはじめて会った。のちに「中国革命の父」「国父」と呼ばれる孫文は、当時、日本ではほとんど無名の人で…

中国100年の屈辱 その4「五・四運動」

デモ行進する北京の大学生 Wikipedia 1919年5月4日、その日は日曜日で、北京は春というのに冷たい風が吹いていた。午後1時半、天安門広場に市内の12大学から3000人の学生が集まった。多くの学生が、彼らが尊敬する知識人の“制服”長い絹のガウン…