歴史探訪 その12 毛沢東の文化大革命
どの国にも狂気の時代がある。日本の場合、戦前の軍国主義の時代がそれにあたる。文化大革命の10年は、中国の狂気の時代であった。今年は毛沢東がはじめた革命50周年にあたる。
1966年8月18日午前5時、北京の天安門楼上に軍服姿の73歳の毛沢東が立つと、天安門広場の100万人の紅衛兵が大歓声を上げ,赤い表紙の『毛沢東語録』を掲げて「毛沢東万歳!」を叫び続けた。午前8時、小柄で瘠せた国防相・林彪が、全国から集まった若者たちを前に、「搾取階級の旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣のすべてを打破しよう」と呼びかけた。6時間にわたる集会のハイライトは、楼上の指導者との接見を許された学生のひとり、宋彬彬が毛沢東の腕に紅衛兵の腕章をつけた瞬間だった。これは、紅衛兵運動を毛沢東が公認し、7億の中国人に文化大革命(文革)を宣言した瞬間だった。
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犠牲者の顔写真ククリーン 南京大虐殺記念館
南京事件は、おそらく日本の歴史のなかで最も恥ずべき出来事であった。「聖戦」の名で、書くのも語るのも憚られる蛮行が行われたことを、いまでは多くの日本人は忘れている。そして知らない。知っているにしても、うすらぼんやりとだ。それだけではない。南京事件はなかった、それほどの大事件ではなかった、という説が大手を振るってまかり通っている。
今回の歴史探訪では、幻説と事件の矮小化がなぜ誤っているかを、内外の信頼できる史料を駆使して証明してみよう。史料のなかで、とくに重要なのは、南京安全区委員会の長であったジョン・ラーベの『日記』である。ドイツ人ビジネスマンでナチス党員であったラーベは、南京市民、難民20万人を救った。このヒューマ二ストの日記を読むと、ドキュメンタリー映画の説得力がある。後半で、中国人でも日本人でもない、この第三者の証言を紹介する。
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南京入城式 1937年12月17日
南京陥落から4日後の1937年12月17日、日本軍による盛大な南京入城式が行われた。東京朝日新聞は翌日の夕刊でその模様を次のように報じている。
午後1時半松井大将を先頭に朝香宮殿下を始め奉り柳川部隊長,各幕僚は騎乗にて、ここに歴史的大入城式が開始された。嚠喨たる喇叭が響き渡る。何という堂々の大進軍だ。午後2時国民政府正門のセンターポール高く大日章旗が掲揚され、海軍々楽隊の「君が代」が奏でられ始めた。松井方面軍司令官が渾身の感激を爆発させて絶叫する「天皇陛下万歳」の声、全将兵の唱和する万歳のとどろき、ここに敵首都南京がわが手中に帰したことを天下に宣する感激の一瞬である。(記事要約)
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