フランスの田舎から世界を見ると

土野繁樹の21世紀探訪

魔女の狩人  トランプvs情報機関

 

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The New Yorker 2018・9・3号            Barry Britt

 

この諷刺画は米国のニューヨーカー誌の最新号のカバーである。これは、ロシア疑惑を調査する特別検察官ミュラーが、トランプを追い詰めている光景だ。8月21日は、トランプにとって最悪の日となった。

ミスター・フィックサーと呼ばれた、トランプの個人弁護士マイケル・コーエンが、ボスが性的関係をもった二人の女性、モデルとポルノスターへの口止め料を、選挙前に大統領の指示で支払ったと、裁判で宣誓証言したからだ。そのカネはトランプの選挙本部からでているので、これは選挙法違反となり、大統領が罪を犯したことになる。

その日の裁判でコーエンは、脱税、銀行詐欺でも有罪を認めたので、法律的には65年の監獄入りとなる。これでは破滅だと、彼は検察と司法取引をして口止め料に関して事実を認め、最大で5年3か月の刑で手を打ったようだ(判決は12月)。トランプの秘密を知る立場にあったコーエンが、大統領の脱税などをしゃべるとさらに問題は大きくなる。

その日、トランプはダブル・パンチを浴びている。というのも、トランプの選挙対策本部長だった政治ブローカー、ポール・マナフォードが、これまた脱税と銀行詐欺で有罪判決を受けたからだ。彼は9月に再び、外国エージェント登録法の違反容疑などで裁判にかかるが、有罪判決がでると禁固240年の判決の可能性もある。ロシア疑惑の核心を知ると思われているマナフォードは、減刑を求めてミュラーと司法取引をして、トランプに不利な証言をするかもしれない。これら二人の“知りすぎた男”のわが身可愛さの謀反はトランプには脅威だろう。

 

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ミュラー特別検察官                Joshua Roberts-REUTERS

 

ともあれ、これは元FBI長官のミュラーが標的にした人物のカネの流れを追っての勝利である。しかし、彼のミッションはロシア疑惑の解明だからこれからが本番になる。ちなみに、ミュラーはエリート検察官の経歴があり「わたしは犯罪捜査が大好きだ。指紋、弾丸の薬きょうなどすべて好きだ」と言っていた男だから、手ごわい。

トランプ大統領の将来はミュラーロシア疑惑の調査報告書にかかっている。しかし、トランプは、報告書が提出される前に彼を解任するかもしれない。そうなると、ワシントンは大混乱に陥り、どうなるかわからない。報告書が出て、11月の中間選挙民主党が下院で過半数をとり逆転すれば、大統領弾劾の手続きがとられるだろう。逆に、共和党過半数を保てば、報告書の内容がどうあれトランプは安泰だろう。

上記の状況下で、今回の歴史探訪はロシア疑惑をめぐるトランプと情報機関の間の、前代未聞の対立を取り上げた。大統領が情報機関を“影の政府”と呼び敵視する、一方ではスパイ組織の重鎮OBは、トランプは国家安全保障の脅威である、と反撃するという異常な事態が起きている。

筆者が愛読する雑誌にThe New York Review of Books(ニューヨーク書評誌)がある。

英語圏で最高といわれる同誌は、記事が長文で、テーマについて複数の本を取り上げ論評する。たんなる本の紹介ではなく、評者の見方が前面にでているのが特徴だ。なにより、読んで面白い記事が多い。

今回は、同誌の最新号に掲載された(8―9月号) ティム・ワイナーの“The Witch Hunters”(魔女の狩人)を紹介しよう。彼はニューヨーク・タイムズの海外特派員を経たあとライターとなった。彼は、ピュリツアー賞受賞作legacy of Ashes: The History of the CIA(邦訳版『CIA秘録』文春文庫)、Enemies:A History of the FBI(邦訳版『FBI秘録』文春文庫)などの著作がある、情報機関のエキスパートだ。

ワイナーは以下の3冊の本を取り上げている。The Assault on Intelligence: American National Security in an Age of Lies by Michael V. Hayden(「情報への攻撃:嘘の時代のアメリカの安全保障」マイケル・へイデン著)、A Higher Loyalty: Truth, Lies, and Leadership by James Comey(「より高き忠誠心:真実、嘘とリーダーシップ」ジェームス・コミ―著)、Facts and Fears: Hard Truths from a Life in Intelligence (「事実と恐怖:スパイ人生の苛酷な真実」ジェームス・クラッパー著)である。3人の著者は国家情報局長、FBI長官、CIA長官の経歴をもつ。

書評のタイトル「魔女の狩人」は、トランプを米国の安全保障の敵と、思っている上記の人々を指している。トランプがロシア疑惑の調査は「魔女狩り」と言い、彼らを攻撃するのに引っかけて、君こそ魔女ではないか、とのアイロニーが込められている。「ホワイトハウスには犯罪の悪臭が漂っている」とワイナーは言う。以下は、筆者が全訳した彼の力作である。

 

The “Witch Hunters”  Tim Weiner

 

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トランプ大統領                           Wikipedia

 

ドナルド・トランプにとって“影の政府”は、まるで彼を苦しめるために、ワシントンの陰気な沼底から浮かび上がってきた怪物のように見える。トランプにとって、その怪物を操っているのはFBI(米連邦捜査局)、NSA(米国家安全保障局)、 CIA(中央情報局)を率いてきた男たちで、憲法に従って選出された政府の下で、闇の勢力、国家の中の国家として陰謀を企み、彼を破壊しようとしている政敵である。フォックス・ニュースが始まる夜明け前に起きた大統領は影の政府をツイッターで攻撃したー2018.5.23 6.54AM 「犯罪的影の政府、彼らはありもしないロシアとの結託を追及している、でっち上げのペテンだ」。

7月16日ヘルシンキの米ロ首脳共同記者会見で、ウラジミール・プーチンの隣に立つトランプに記者が次のような質問をした。すべての米情報機関が、ロシアは2016年の米大統領選で選挙干渉をしたと結論を下しているが、それを信じるか。意外にも、トランプは作り笑いをする独裁者の側についた。「彼らはロシアがやったと言う。ここにいるプーチン大統領はロシアではないと言った。そうではない理由はまったく見当たらない」。この発言をジョン・マッケイン上院議員は「大統領による最も恥ずべき行動だ」と批判した。

トランプはFBIの法執行官は破壊活動をする悪漢で、CIAのスパイはナチスの突撃隊員だと思っている。大統領になる前から、情報機関が彼の電話を盗聴し、周辺にスパイを配置し、メディアと共謀しサボタージュをしていると考えている。とりわけ不吉なのは、特別検察官ロバート・ミュラー(元FBI長官:2001-2013)の存在だ。トランプは、FBIはミュラーの奴隷だと思っている。トランプとその共謀者の犯罪容疑を追及するミュラーは、大統領を破滅させることもできる男だ。

トランプは、影の政府は軍部と情報機関の旧幹部による秘密結社で、彼らが裏で国政を牛耳っていると、思い込んでいる。オバマ大統領時代の情報機関のリーダーである彼らは、司法省の悪賢い連中と共に、この国を運営しようとしている、と考えている。しかし彼らは、プーチンとそのスパイ組織による、秘密作戦を暴いた人々である。にもかかわらず、大統領にとって彼らは共和国の守護者ではなく、クーデターを企てている輩だ。

 

トランプと対決するスパイの親玉たち

 

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コミ―、クラッパー、ブレナン(左から) 上院情報委員会の公聴会    Wikipedia

 

トランプはパラノイアかも知れない。しかし、情報機関の名誉教授とも言える人々の間に正真正銘の敵がいるのも事実だ。その中の3人は新著を刊行し、合わせて100万部が売れている。ジェームス・クラッパーはオバマの国家情報局長(2010-2017)としてスパイ活動を総監督した。マイケル・ヘイデンはNSA長官(1999ー2005) のあとCIA長官(2006-2009)を務めた。トランプにFBI長官(2013-2016)の職を解任されたジェームス・コミ―はさらなる復讐の機会を待っているかも知れない。

今日のワシントンは奇妙な世界だ。かつてはその政策ゆえにリベラル派から糾弾された、これら三人の保守派の重鎮は、今では反トランプ陣営をリードし、右派の怒りの対象になっている。彼らはトランプが定義する影の政府の高官だから、右派にとって三人はアメリカで最も危険な男ということになる。逆に三人は、トランプは嘘つきで大道芸人、国家安全保障と憲法権利章典の脅威だと言う。「われわれのデモクラシーは、嘘を土台にして長くは機能できない」と言うクラッパーは、次のように書いている

われわれが選んだアメリカ合衆国大統領が、本能的にまずやることは、自分の立場を有利にするため真実を歪め、本人とその家族の資産を増やすことだ。その結果、この国の伝統的価値観をおとしめている。その一方で、トランプはロシアの脅威を認めることを頑なに拒否して、ロシアがわが国の政治プロセスに介入している、と彼自身の情報機関が判断したにもかかわらず、不可解にもプーチンの言葉を信じている。

クラッパーのこの一節は、この単調な自伝の中でケーブル・ニュースのパンチラインと同様な効果がある。トランプは直ちに「クラッパーはフェイク・ニュースを流すCNNに出演する嘘つきマシーンだ」(4月28日8:58AM)とツイッターで反撃した。ジョン・ブレナン(前CIA長官 2013-2017)はツイッターで大統領にパンチを浴びせた。「あなたの偽善には限度がない。ジム・クラッパーは誠実で正直、倫理と道徳心の人だ。しかし、あなたはそうではない。・・・あなたは真実が明らかにされることを怖れている」。マイケル・ヘイデンも、トランプの移民政策を批判して援護射撃をした。彼はアウシュヴィッツ収容所の写真を使い、「他の政府も母親と子どもを分けて収容した」とキャプションを付けた。これまで、情報機関の高官OBがこのように大統領を攻撃した例はない。

 

嘘の時代に生きる

 

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“プートラ”(米ロ首脳の合成写真) Time Magazine 2018・7・30

 

ヘイデンの“The Assault on Intelligence「情報への攻撃」”は力作だ。内容はほとんどトランプについてである。サブタイトルは「嘘の時代のアメリカの安全保障」。彼はそれをあけすけに語り、デモクラシーが危機に直面していると警告している。彼が描くトランプのアメリカは、マーシャ・ゲッセン(註:厳しいプーチン批判で知られるロシア生まれのライター)が書くプーチンのロシアに似ている。ヘイデンはオバマのファンではない。オバマ政権では登用されていないが、その理由のひとつは、911事件のあとブッシュ大統領の指示に従って、米国市民を盗聴するプログラムを違法に実施したからだ。

ヘイデンは興奮気味でトランプの権威主義的傾向を語り、プーチンとの相性がいいことに苛立っている。2006年の共和党大会で「わたしだけが問題を解決できる」とトランプが演説したとき、プーチンはわが意を得たりとハミングしたに違いない。彼はまた、トランプの執拗なメディア批判を嘆き「もし、これがわれわれの真の姿なら、あるいは、そうなりつつあるのなら、わたしは過去40年を無駄にしてきたことになる」と言っている。また、彼と昔からの同僚が秘密裡に結託して、トランプを排除しようとしている、という考えに立腹している。「アメリカに影の政府など存在しない。あるのは政府だけで、官僚は法律の範囲内でベストを尽くしている。しかし、いつもクリーンではないが」。

そう、まったくクリーンではない。トランプが大統領に就任して2週間後、ワシントン・ポストニューヨーク・タイムズが衝撃的なニュースを報道した。それは、大統領就任式の前に、トランプが安全保障補佐官に指名したマイケル・フリン陸軍中将が、ロシア駐米大使セルゲイ・キスリャクとの間で、交わした会話の内容だった。これは米情報機関が、ワシントンのロシア大使館を監視するなかで得たもので、法廷が認定した傍受情報をプレスが入手したものである。その会話内容は、オバマ大統領がロシアに課した経済制裁を止めることだった。トランプがまだ宣誓をしていない段階での、この会談は極めて不適切で、違法の疑いもある。フリンはすべてを否定したが、ごまかすことができず辞任した。その後、FBIに嘘の証言をしたとし有罪を認めた。現在、彼は特別検察官ミュラーに協力しているから、トランプとその側近にとって危険な存在である。

 

リークは影の政府の仕業か

 

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CIAは影の政府?                       Financial Times

 

情報源は前記と同じだが、ジェフ・セッション司法長官とトランプの娘婿ジャレッド・クシュナーが ロシア大使と内密の会談をしていたことも判明している。安全保障に関する傍受記録を、どのようにして新聞社が入手したかは、興味をそそる点だ。わたしは1980年代後半からアメリカの情報活動を報道し書いてきたが、このようにほぼリアル・タイムで、リークされるのは極めて稀なことだ。おそらく情報をリークしたのは、FBIか司法省かNSAの高官で、コメーか、クラッパーか、ヘイデンが良く知っている人物だろう。この推測は当たらずとも遠からず だと思う。

とすると、疑問が湧く。トランプは正しいのではないか。アメリカには影の政府があるのではないか。彼らはトランプを標的にしているのではないか。しかし、わたしはその見方に深い疑念を持っている。以下その理由を述べる。

ハーバード大学教授のジャック・ゴールドスミスが、これらのリークは「トランプに対する影の政府のリークである」と書いているのを読んで、わたしは仰天した。彼はブッシュ政権で司法次官補だったから、秘密隠ぺいについてはよく知っている。15年前に彼は、ブッシュがアメリカ市民を密かに監視する指示をだすことに疑念を抱いた人だ。当時のコミ―司法長官代理がそれに注目し、ミュラーFBI長官がその違法性をブッシュに指摘し警告を発した経緯がある。

ゴールドスミスは、現在行われているリークは、秘密情報を政争の武器として使った、エドワード・フーバーの時代への回帰であるという。「大統領の安全保障補佐官、あるいは大統領自身が、わが国最大の敵国のスパイ活動に関係した疑いがある、という前代未聞の状況にある」が、国家機密をリークすべきではない、とゴールドスミスは言う。「たとえフリンやトランプの側近が、ロシアの手中にあることが証明されても、後世の多くの人は、反トランプのリークは政敵をやっつけるための、情報の政治的悪用であつたと見るだろう」

わたしは、ワシントン・ポストニューヨーク・タイムズに密かに傍受情報を伝えた人物は、妨害工作者というより救済者だと思う。リークには高潔なものと、悪意のそれとがあるが、前者のほうが多い。ゴールドスミスは安全保障の権威で、保守派の断固としたトランプ批判者だが、影の政府は実在しダーティ・ワークをやっていると主張する。だが、わたしはそうは思わない。しかし、影の政府への恐怖の歴史は長い。

 

金権政治を打倒せよ

 

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こんな男が大統領!          The New Yorker

 

英国王ジェームス1世はかつて庶民院議長に「何者も政府と国政に介入してはならない」と警告したことがある。国王の臣下であった哲学者フランシス・ベーコンは「すべての政府は不明瞭で不透明だ。・・国家の権力の一部は機密情報である」と書いている。権力は国王の神権から生まれくるものだから、国民はそれに疑問を挟んではならない、というわけだ。

アメリカ革命はこの観念を打破することを目指した。憲法立案者は軍事と外交における国家機密を容認したが、彼らはアメリカ帝国が英国を凌駕することも、平時に巨大な軍隊を保持し、それを支える軍需産業が発展することも予期していなかった。アイゼンハワー大統領(1952-61)は軍産複合体の興隆に以下の警告を発している。「このとんでもない勢力の影響力は、経済、政治だけでなく精神界にも及んでいる。これは、すべての都市、すべての州政府、すべての連邦政府のオフィスで感じ取られる」

セオドア・ルーズベルト大統領(1901-09)は、デモクラシーが抑制できない影の政府のパワーの源泉は、政治とビジネスの結合からきていると考えた。1912年に彼が創立した進歩党の綱領で「見せかけの政府の背後に、国民に対する忠誠心もなく責任もとらない、見えない政府が王座を占めている」と警告している。ここで彼が糾弾しているのは、財力で政治を左右する人々である。ちなみにルーズベルトは彼らを「大資産家の犯罪者」と呼んでいる。彼がかつて言った「腐敗したビジネスと腐敗した政治の不浄な同盟」は現代でもまかり通っている。その証拠に、コーク兄弟(註:共和党右派に絶大な影響力を持つ大富豪)に率いられた影の政府は、国務長官のマイク・ポンぺオやスキャンダルで辞任した前環境保護庁長官スコット・プルイット、下院の最も保守反動議員を長年支援し影響力を行使してきた。

ルーズベルトは、1908年に金権政治による影の政府を攻撃するためにFBIを創設し、フーバー1924年に長官になる直前に亡くなった。フーバーは48年間にわたってFBIに君臨した。冷戦期、彼は秘密の帝王になり恐怖による支配をした。彼は電話を盗聴し、盗聴器を仕掛け、強盗を指示し、令状を濫用し、法と憲法を超えて活動した。CIAは1947に、NSAは 1952創設され、フーバーのFBIとしっくりしない同盟関係にあった。その理由は、フーバーは新設情報機関をも盗聴していたからだ。彼は国務長官と国防長官と共に、アイゼンハワー政権の国家安全保障会議のメンバーであった。彼は政府の安全保障から市民権に関する政策までに関与した。

 

フーバー皇帝の時代

 

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ケネディ大統領、フーバー長官、R・ケネディ司法長官       gettyimages

 

ケネディが大統領の座についたとき、フーバーは彼に関する、えげつないファイルを保管していた。その中には、1942にナチスのスパイと疑われていた女性との、あいびきの盗聴記録もあった。彼はケネディに、それを知っていることをほのめかした。当時の司法長官ロバート・ケネディは、彼を「非常に危険な組織」を率いる「危険な男」と思い、その危険性を排除しようと考えた。しかし、フーバーは司法長官だけでなく、議会と最高裁判所の命令にも従う男ではなかった。ロバート・ケネディはフーバーの国家保安の要求に屈服し、マーチン・ルーサー・キング師を電話盗聴と盗聴器で、24時間監視することを容認した。

1960年代と70年代にジョンソン大統領とニクソン大統領はFBI,CIA,NSA反戦運動を妨害あるいは排除することを命じた。ベトナム戦争が悪化すればするほど、彼らは、アメリカの左翼がモスクワと北京の双方から(ありもしない)秘密支援を受けている証拠を探しだせと、情報機関に圧力をかけた。ジョンソンは“秘密警察”を作ることに熱を上げた。彼の命令で、リベラル派の司法長官ラムジー・クラークや副長官のウォ-レン・クリストファー(のち、クリントン国務長官)はFBI、NSA、陸軍に少なくとも10万人の米国市民をスパイすることを指示している。CIAはNSAと共同で危険人物リストを作り電子盗聴をやっている。

ニクソン大統領は前任者による違法監視をより強化し、国家安全保障会議のメンバーやワシントンの報道記者を盗聴した。ニクソン政権下、監視リストは膨らみ上院議員にまで及んでいる。その中には、のちに情報活動を監視する委員会を設立した、アイダホ州選出の民主党のフランク・チャーチや、テネシー州選出の共和党のハワード・ベーカーがいた。

 

大統領の犯罪

 

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ニクソン辞任          The New York Times 1 973・8・16

 

ベーカーはウォ―ターゲート事件について「大統領は何を知っていたのか、いつの時点でそれを知っていたのか」という核心をつく問いをした議員である。ウォ―ターゲート事件は、1972年7月17日にFBI とCIAの落ちこぼれが、民主党本部があるウォ―ターゲート・ホテルに、間抜けな侵入をしたことで始まった。事件が起こる6週間前にフーバーはすでに墓の中の人になっていたので、FBI も CIAも大統領を守ることは出来なかった。CIAは侵入事件の責任を被るつもりはなかったから、ニクソンの運命は決まっていたといえる。

あののどかな1973年の夏、17歳だったわたしはニクソン政権を消滅することになる、ウォ―ターゲート事件の上院の公聴会テレビ中継に、クギ付けになっていた。その中継は、ワシントンのFBI事務所が入手した、決定的な情報をもとに上院議員たちが、法律を破り憲法をその限界点まで曲げて解釈する、大統領の姿を描いていた。翌年、特別検察官が主要な被告を告発したとき、ニクソンは不起訴の共同謀議者になった。終局は、最高裁ホワイトハウスは8本の録音テープを公開すべきだ、との判決を8-0 で下した1974年8月にやってきた。そのテープには、ニクソンウォーターゲート侵入の6日後には、FBI の調査を妨害するよう指示していることが、録音されていた。

ウォーターゲート事件のあと、チャーチ上院議員の調査委員会がFBI、CIA、NSAの数々の権力乱用を明らかにした。チャーチ委員長は、CIAをはじめアメリカの情報機関は制御不能の「狂暴な象である」と宣言した。しかし、この見方は表面的だった。なぜならその時点では、極めて重要な事実が隠ぺいされていたからだ。人々が厳しい真実を理解するまで長い年月がかかった。

情報機関のボスは、少数の例外はあるにしても、ホワイトハウスの命令を実行していたのである。たとえば、フランクリン・ルーズベルト大統領は、最高裁が1940年の判決で禁じているにもかかわらず、フーバーに命じて密かに令状なしの監視を行っていた。フーバーは死ぬまで、ルーズベルトのその命令書を机の上に置いていた。アイゼンハワーからニクソンの時代の大統領は、FBI, CIA, NSAアメリカ市民をスパイし、政敵を葬ることをけしかけた。狂暴だったのは、情報機関ではなく大統領だったのだ。情報公開された冷戦時の公式文書を読むと、アメリカ合衆国の秘密政府を操っていたのは、エドガー・フーバー参謀本部、CIAではなく、その本部はペンシルベニア・大通り1600番地(ホワイトハウスの住所)だったことが分かる。

 

陰謀説を信じる人々が増大

 

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影の政府の正体は?                         Wikipedia

 

影の政府が実在しているとすると、民主的に選出された公人、とくに大統領を操る人物がいるはずだ。この定義からすれば、冷戦の最中に高まった、アメリカは影の政府によって支配されているという見方は、秘密と恐怖から生まれた妄想だった。しかし、影の政府への恐怖は存続している。。大異変に関する公式説明への痛烈な不信感は、いまや陰謀説が主流になるほどの状況を作っている。

ギャラップの世論調査によると、ほとんどのアメリカ人(2001年には81%)が、ケネディ暗殺の背後には陰謀があると思っている。ケネディ暗殺は、気が狂った元海兵隊の狙撃兵による、メイル・オーダーで買ったライフルを使った犯行ではない、と考えているわけだ。911事件から5年後に、ニューヨーク・タイムズが行った世論調査によると、国民の半数以上が政府は嘘をついているか、なにかを隠していると答えている。

同様に、トランプのこじつけの影響で、影の政府の存在を信じる人びとが増大している。しかし、いまや影の政府は隠れた存在ではない。現在では行政国家自体がそれにあたる。この状況では司法省は存在せず、トランプの“影の政府の正義”があるだけだ。事実を認めない陰謀理論家の司令官が大統領である背景には、今日のポスト真実の政治の温床があるのかもしれない.

 

大統領弾劾のカギを握る男

 

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コミ―前FBI長官                     Foreign Policy

 

ジェームス・コミ―は、金ピカのトランプ・タワードナルド・トランプにはじめて会った。その日は大統領就任式の2週間前の2017年1月6日だった。その会合には、クラッパー国家情報長官とブレナンCIA長官も同行していた。コミ―はロシアが前年の大統領選に介入したことは事実で、これはすべての情報機関の一致した判断であるとトランプに伝えた。

プーチンとその代理人は、ヒラリー・クリントンを中傷し、彼らのお気に入りの候補者に肩入れし、選挙プロセスを傷つけることに成功した。彼らの目的は、アメリカのデモクラシーを混乱させることだった。それを達成するには、トランプが大統領になることほどよい方法はない。トランプの大統領の将来は、すべてこの事件の解明にかかっている。KGBの元将校のプーチンが指揮したこの隠密作戦は、まるでギリシャ神話の怪物ヒュドラのように複数の頭―スパイ活動、サボタージュ、インターネットによる情報戦争―をもっていた。

FBIはCIAとNSAが集めた情報を基に、トランプのチーム(あるいは彼自身も)がロシアの企みに加担または扇動したか否かを、調査する義務があった。このことは陰謀説を信じるトランプに、情報機関のトップ、とくにコミ―に恐怖心を抱かせることになった。一方、トップ3人はこの会談で、大統領になる男への懸念をより強くした。

その日、FBI長官は貧乏くじを引いたのではなかろうか。というのも、彼だけが英国のスパイによって編纂された「スティール報告書」を基に、トランプにブリーフィングをしたからだ。その報告書の中には、次期大統領がモスクワで売春婦と異常な性行為をし、ロシアのスパイがその証拠を握っているということも入っていた。コミ―はその著書“A Higher Loyalty: Truth, Lies and Leadership”(『より高き忠誠心:真実、嘘とリーダーシップ』)で、「トランプは、わたしが売春婦の件をもちだしたのは、彼の弱みを利用して、影響力を行使するためだと、と思ったのかもしれない。あるいは、フーバーがわたしの立場だったら、やったに違いない脅しをかけている、と思ったのもしれない」と書いている。

コミ―はフーバー以来、最も政治的影響力があるFBI長官であった。ヒラリー・クリントンが大統領になるチャンスを、彼が潰したか否かは末永く議論されるだろう。彼が著作で語っている事実を証言(トランプがNBCニュースのインタビューで「ロシアの件」でコミ―をクビにしたと言っているが、その経過の証言)すれば、トランプに対する大統弾劾あるいは刑事訴追への道を開くことになるかもしれない。

コミ―は「嘘つきだ」とトランプはツイートしている。コミ―の本を読むと、彼は相当な自信家だと思うむきもあるだろう。事実、その自尊心の高さは並ではない、敬虔ではあるが、尊大でもある。しかし、彼がトランプに会ったときの回想は本当ではない、と言うのはムリがある。彼は大統領とさしで会ったとき、ギャング担当の検察官だった頃のことがフラッシュバックしたと言っている。「わたしのアタマをよぎったのは、ニューヨークのマフィアの社交クラブだった。忠誠の誓い、俺たちvs奴らの世界観、道徳、真実より組織を大事にする忠義の掟に従い、大小すべてのことに嘘をつく世界を思いだした」この一節は真実味がある。コミ―はこんなことを書けるユニークな立場にいる男だ。

 

“大統領はギャングのボス”

 

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アップ、アップの大統領  Time Magazine  2018・9・3号

 

二人の間にいくつかの記憶に残る対決がある。とりわけトランプが、面子を失って安全保障補佐官を辞任した、マイク・フリンに関する犯罪捜査をFBIは止めてほしい、2016年の大統領選へのロシアの介入についての捜査を中止してほしい、とコミ―に言った場面がそうだ。トランプはコミ―がその要請を断ったので、彼をクビにしたが、この発言は大統領史の中で極めて異様なものである。これはウォ-ターゲート事件で決定的証拠となった、ニクソンの録音テープの内容より重い。なぜなら、アメリカ合衆国の大統領が司法妨害をして、FBI長官に偽証することを求めているからだ。コミ―は昨年、上記の内容の多くを証言しているが、著作に描かれた雰囲気は説得力がある。大統領のイメージはギャングのボスとのコミ―の印象は忘れがたい。ホワイトハウスには犯罪の悪臭が漂っている。

大統領が重大犯罪の容疑で告発されるとしたら、最もありそうなケースは司法妨害になりそうだ。ウォーターゲート事件民主党本部への侵入に関する、ニクソンの罪状がそうだった。事件の解明はFBIの捜査が決め手になったが、今回は特別検察官ミュラーと彼の重要証人コミ―が、その役割を果たすだろう。アメリカの情報機関が収集した強力な秘密情報が、議会あるいは法廷で公開されれば、大統領は失脚するかもしれない。われわれを苦しめているのは影の政府ではなく、浅薄で腐敗した政府だ。

 

参照記事 “Donald Trump’s dangerously bad day” Edward Luce  Financial Times 2018・8・22,  “ Donald Trump’s tribal advantage over Richard Nixon“  Edward Luce  Financial Times 2018・8・25, “Michael Cohen, the president’s fixer who knew too much“  Courtney Weaver  Financial Times 2018・8・24, ”What will Mueller do? The answer might lie in a by-the-book past” Matt Apuzzo  The New York Times 2018・8・25

 

 

 

フランス田舎暮らし ~ バックナンバー1~39


著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。