フランスの田舎で暮らす

土野繁樹の歴史散歩

英国EU離脱の大誤算

 

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「ヨーロッパにはもううんざりだ」      The Guardian Illustration by R Fresson

 

筆者はパリから南へ下り500キロ、中世の教会と城があるのどかな村で暮らしている。この国の大多数のコミュニュティと同じように、村役場にはフランスの三色旗とEU旗が掲げられている。人口わずか350人だが、美しい田園風景に魅せられて移住してきたEU(欧州連合)市民も多い。イギリス人、オランダ人、ベルギー人、リトアニア人、スウェーデン人と10家族はいるだろう。

村の友人リチャードは英国の元判事、若い頃は沖縄で空手の修行をし、英語で俳句を詠む親日家だ。そのリチャードが英国のEU離脱に愛想をつかして、昨年暮、アイルランド国籍をとった。彼の先祖がアイルランド貴族だったという背景はあるにしても、わずか数か月でパスポートを入手した。かくして、筆者の身辺にもBrexit(ブレグジット:Britain 「英国」とexit「出口」の掛詞で英国のEU離脱の意)の余波が押し寄せてきている。

国民投票によるEU脱退の決定は、英国戦後史における最重要な出来事ではなかろうか。英国の歴史家サイモン・シャーマ(BBCテレビの秀作シリーズ「英国史」のライター兼プレゼンター)は「現代史上、強制されてもいないのに、自国を最大に傷つけるかつてない行為だ」と言っているが、筆者はまったく同感だ。

今回のエッセイの前半では、英国とEUの歴史的関係、イギリス人のヨーロッパ観、イギリス人の自画像を素描する。なぜなら、筆者はこれらの要素が国民投票で離脱派が勝利する上で、大きな役割を果たしたと思うからだ。

この部分では、作家ジュリアン・バーンズの秀逸エッセイ‘英国人による英国論’、タブロイド紙がイギリス人のヨーロッパ観に与えた決定的な影響、 映画「ダンケルク」と「チャ―チル」が離脱派の‘戦旗’になる時代錯誤を紹介する。

後半では、「英国EU離脱の大誤算」の軌跡を追ってみる。国民投票から22ヵ月後の現在から振り返ると、メイ首相は大迷走をしたあとEU市場にUターンをせざるを得なかったということになる。迷走の原因は、自国の実力への過信だった。EUを脱退しても、米国、中国、インドなどと貿易協定を結べば市場を確保できると考えていたが、それは幻想だった。

3月にブリュッセルで合意されたEU・英国間の離脱協定は、英国の事実上の降伏に終わっている。英国はEUと離婚はするが、市場確保のため密接な関係を続けたいのだから、新貿易交渉でもその立場は弱い。英国のさらばEU列車はこのまま走り続けると、来年の3月29日に終着駅に到着し正式離婚になる。EU残留派の巻き返しで一波乱あるのだろうか。

 

英国人の‘島国根性

 

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ジュリアン・バーンズ                     Getty Images

 

まずは、イギリス人作家ジュリアン・バーンズが書評誌ロンドン・レビュー・オフ・ブックスに寄稿したエッセイを紹介しよう。バーンズは”The Sense of Ending“(邦題『ベロニカとの記憶』)でブッカ―賞を受賞(2011年)した英国を代表する国際作家で、多くの作品が邦訳されている。彼はこのエッセイでイギリス人の‘島国根性’とEU離脱の文化的代償の大きさを無念の思いで綴っている。以下は、原文の一部の抄訳である。

国民投票が終了した夜、EU残留に投票した友人8人が、その結果を待ちながら夕食を共にした。その席で、わたしは「うまく行かないとすると、そんな事態を引き起こした元凶は誰だろう」と皆に尋ねた。結果は、ボリス・ジョンソン外務相)が7票、わたしが投じたファラージ(前英国独立党首)が1票だった。

EU離脱へ到る文脈から言うと、ジョンソンは単なるオポチュニストで、元凶はファラージだと思ったからだ。彼は長年、白人パラノイアと人種差別の毒をまき散らし、排外主義を煽り大炎上させたからだ。国民投票のあと、ファラージは誇らしげに「一発の銃声を聞くことなく、われわれは独立をとり戻した」と言ったが、事実はそうではない。‘愛国者‘と称する男が、3発の銃弾でジョー・コックス議員(註、EU残留の熱烈な推進者)を殺したではないか。

ジョンソンはかつてデイリー・テレグラム紙のブリュッセル特派員として、フェイク・ニュースで反EUを煽ったが、これは、英国の新聞の何十年にもわたるキャンペーンの一環であった。(英国のタブロイド紙EU離脱に果たした大きな役割については後述する)

もちろん、新聞だけではない。1973年、エドワード・ヒース首相がEEC加盟を実現して以降、ほとんどの英国首相はEUについて熱意を示していない。というもの、それは政治的には得策でないと考えたからだ。メイジャー首相やブレア首相が「われわれはヨーロッパの中心にいる」と言うのを聞いて、ユーロにも参加せず、シェンゲン条約にも入っていないのに、なにを言っているのだとわたしは思ったものだ。

政治家は英国民にヨーロッパを売り込むにあたって、EU加盟国である理由は、言わば繁栄をもたらす合弁会社への出資である、と実利性を強調するだけで、EUの理想的な側面は無視してきた。だから、英国民はEUが偉大なプロジェクトであり、諸国間の友愛の表明でもあることを良く知らない。

この状況では、ヨーロッパではEUの理想が日常的にまだ息づいていることを、英国民が理解するのは困難だ。英国の離脱を知ったわたしの多くのヨーロッパの友人は、信じられない、おどろいたと言い、英国は気が狂ったのではないか、と思っているようだった。

 

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「それでは失礼、さようなら」             Cartoon Movement

 

1973年に英国がEUの一員になる前、シャルル・ドゴール大統領は英国のEU加盟申請を二度も拒否している。当時、われわれは「彼がストップをかけた理由は、第二次大戦中、亡命中のロンドンでの扱いを恨んでいるからだ」と言っていた。事実、ドゴールの動機には個人的な要素があったが、歴史的理由もあった。それは、1898年のフランスにとって屈辱的なファショダ事件(註、英仏帝国間のスーダンのファショダをめぐる紛争。フランスが大幅に譲歩して解決した)まで遡るものだった。

しかし、彼が挙げた拒否の理由は次のようなものだった。「英国はヨーロッパへの参加を許されるべきではない。なぜなら、彼らは“コミュニティ志向”ではないからだ」。あれから半世紀、ドゴールが正しかったことを認めざるを得ない。われわれは、この取り決めもあの条約にも署名しない、例外扱いにしてほしい、「カネを返してほしい」(註、1980年、サッチャー首相が英国のEUへの出資額が多すぎるとし、返却を要求し実現した)と、まるで傍若無人なガキのような振る舞いをする、不満だらけのヨーロッパ人であった。

2011年、わたしはヨーロッパ・ブック賞の選考委員長として、初めて欧州議会を訪れた。当時、EUはユーロが崩壊するかも知れない危機的な状況にあった。外部者であるわたしにも、その深刻な空気が伝わってきた。夕食会の席で、わたしはEU高官の隣に座った。紹介されたのだが、名前が良く聞き取れなかった。彼は聡明で現状についてシャープな見解をもっていた。

わたしは彼に「過去数年にわたる一連の危機の間、イギリス人がヨーロッパに関してなにか役に立つことや提言をしただろうか」と尋ねた。すると彼はしばらく考えていたが、悲しげに首を横に振り‘No’と言った。後でわたしは、彼がブリュッセル欧州議会の議長だった、ドイツの政治家マルティン・シュルツであることを知った。

彼はのちに社民党党首となりアンジェラ・メルケルと首相の座を争い敗れたが、あの夕食会で「長距離トラックとヘッジ・ファンドは国境を越えて自由に行き来するが、人の自由往来ができないヨーロッパは考えたくもない」と言ったのを思いだす。

国民投票を間近にしてサッカー欧州選手権があったが、英国の‘愛国者’サポーターの一群が“くたばれEU ! もうすぐ、お前たちとはおさらばだ”と叫びながらマルセーユの街を闊歩したことがあった。また、メイ首相は保守党大会で「自分は世界市民であると信じている人は、どこの国にも属していない人だ」と言っている。

ベルギー生まれの世界的中国学者で作家のシモン・レイは、中国、台湾、シンガポール、香港で暮らし、オーストラリアで生涯を終えた人だが、都会人の偏狭と国家文化の危険性について理解が深い人だった。英国の作家アンソニー・バージェスは「大国に生まれた作家は、自国の文化がすべての要素を含んでいると思いがちなので、逆説的だが、田舎者になるという危険性がある」と言っているが、レイもこれを敷衍して次のように書いている。

ゲーテが住んでいた頃のワイマールの人口は、ウェールズのクイ―ンビーアン(人口3万6000人)より小さい町だった。しかし、ゲーテは英文学、仏文学の動向に精通していただけでなく、中国の最新小説のことも知っていた。したがって、コスモポリタ二ズは地方でより容易に実現でき、大都市の暮らしは知らぬ間に偏狭の温床になるということになる。

文化は交流から生まれ、異質のものを導入することで栄える。そうならば、国家文化という概念には自己矛盾がある。多文化主義も冗漫な言葉だ。自己中心と自足と孤立によって文化は滅びる。だから大事なことは、例えば、オーストラリア文化ではなく文化豊かなオーストラリアを創ることだろう」。

ジョンソンは「われわれはEUを去るが、ヨーロッパと別れるわけではない」と口当たりの良いことを言っているが、わたしはそれより、投票所で会った若い女性ファゴット演奏者の体験に耳を傾けたい。彼女はオーケストラの一員として、これまでヨーロッパ中で演奏してきたという。彼女はどのようにしてマーラーショスタコービッチが、ファゴットのための旋律を書いたかを語ってくれた。

彼女がわたしのショート・ストーリーを読んで面白かったと言ったので、その小説にひっかけてユーモラスに‘ブレグジットはダメだね’との意を伝えると、「とんでもないことですね」と彼女は答えた。そして、彼女が知っているすべてのミュージシャンがEUのおかげで人生が豊かになり、交流の機会が与えられたと付け加え「EUから離れるなんてほんとに怖いわ」と言った。

国民投票の翌日、自宅の近くにある公園を歩いていると、突然ひとりの男が自転車で近づいていきた。わたしがちらりと彼の顔を見ると「よう、フローベル。いま君はどっちの側だ」(註、バーンズは親仏家と知られている)と叫んだ。北ロンドンとしては珍しいブレグジットの‘勝利宣言’だった。

その次の日、オーストラリアで英豪ラグビー試合があり、英国チームは3-0で勝った。現地の新聞の見出しは「これで、君たちを嫌う大陸がもう一つ増えたぞ」とあった。われわれは英国が選んだ道への世界の反応を過小評価すべきではない。

外国人がわれわれをどう見ているかについて、イギリス人は感傷的な自画像を描いている。イギリス人は礼儀正しく、ユーモラスで変わり者、寛容で丁寧、それに我慢強いと思われていると、思っている。

しかし、歴史的にはその自画像は、そう頻繁ではないにしても、冷たくて傲慢、乱暴で利己的、人種主義者で偽善家であると、しばしば逆になる。国民投票のあと、当地で暮らす30年来のフランスの友人が、母国に戻ることを考えていると言った。彼女は本当にやさしく、政治には関心がない人なのだが「また、あなた方は嫌われ者になるわね」と言った。これから、しばらく辛い日が続きそうだ。

 

タブロイド紙の威力

 

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離脱派のキャンペーン・バスの事実無根のスローガン   Jack Taylor/Getty Images

 

英国の世論形成にタブロイド紙が果たして巨大な影響力を考えると、EU離脱派が勝ったのは意外なことではないかも知れない。というのも、過去何十年、サン、デイリー・メイル、デイリー・テレグラフなどの大衆紙が、偏見に満ちたEUに関する記事を読者に流し続けたからだ。

その先陣を切ったのが、ボリス・ジョンソンだった。彼は記事ねつ造事件でタイム紙をクビになった後、1990年代の半ばにデイリー・テレグラフブリュッセル特派員になり、彼は事実報道とはほど遠い、攻撃的で、批判的、嘲笑的なEUに関する記事を、面白おかしく書き続けた。

EU官僚はヨーロッパ支配を企てている、EUは英国人の好物ポテトチップス禁止を計画している、EUはコンドームのサイズを決めようとしている、などである。アスベスト造りのEU本部の建物は爆破すべきだ、という過激なのもあった。これらはいずれもフェイク・ニュースだった。しかし、ジョンソンはこれで有名になり後に政界に転じロンドン市長になった。

ジョンソンがブリュッセルを去って数年後、タイム紙の特派員としてその地に赴任したマーティン・フレッシャーは、当時の新聞の報道姿勢を次のように書いている。「タブロイド紙に限らず、ロンドンの編集長は、EUはヨーロッパを超国家にする陰謀を企んでいる、顔のないEU官僚が英国で販売されるキュウリのサイズを決めている、英国首相が敵対的なヨーロッパを相手に果敢に戦っている、などのアングルの記事を現地記者に期待していた。

その結果、ほとんどの新聞は別のプリズムでEUを見ることをしていないという印象だった。この狭い視点での報道は、イギリス人のナショナリズム、歴史的優越感、外国人蔑視の反映でもあった」。かくして、タブロイド紙を中心に英国のEU嫌いの空気が醸成されていったのである。フレッシャーは、タブロイド紙はEUをネス湖の怪物のような存在にした、と言っている。

もちろん、英国にはガーディアン、フィナンシャル・タイムズ、タイムズなど質の高い世界的な新聞があり、EUの理念、政策を広い視野で報道してきたが、なにせ大衆紙に比べると発行部数が少ないので、その影響力には限界がある。大衆紙を読む読者は、EUは二つの大戦への反省から生まれた平和プロジェクトであることも、その厳しい環境基準によって圏内の川や浜辺がきれいになったことも知らない。

国民投票のキャンペーン中、大衆受けのするパーフォーマンスで知られるジョンソンは、EU離脱派の顔として全国を遊説して回ったが、一行が乗るバスの車体には「毎週、EUに3億5000万ボンド(500億円)を払っているが、それをNHS(国民保健サービス)に使おう」とあった。

EUにこんな巨額なムダ金を使うぐらいなら、ヨーロッパから自由になって、このカネを破産寸前のNHSに廻そう、との強力アピールだった。ところが、これは根拠のないウソの数字だった。また、離脱派は国内にイギリス人の職を奪う移民が溢れているのは、EUを信じる残留派のせいだとし「トルコがEUに加盟し、数百万人のトルコ移民がイギリスへ流入する」と宣伝したが、これもフェイクだった。

ジョンソンはキャンペーン・バスの中で、テレグラフ紙の記者に「手段は違うにしても、EUはヒトラーのようにヨーロッパ制覇を望んでいる」とショッキングなことを言っている。残留派はEUを第三帝国と比べるとは、何事だと激しく批判したが、彼は馬耳東風だった。

 

ダンケルクを思い出せ!

 

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ダンケルク撤退作戦 1940年5月 Charles Cundall画作

 

昨年夏に公開された映画「ダンケルク」は、イギリス人の愛国心を大いに鼓舞し大ヒットとなった。ダンケルクは、第二次世界大戦が始まった1940年5月、破竹の進撃をするドイツ軍に、英仏連合軍40万の将兵が北フランスの港町ダンケルクに追い詰められるが、英国への撤退作戦が奇跡的に成功し、34万が救われた歴史をドラマ化した映画である。

5部門のアカデミー賞を取ったこの作品を筆者も見たが、英国の若い兵士が敵の銃弾と爆撃と魚雷の標的になりながら、命がけの脱出をするヒューマン・ドラマに感動した。まるで自分がドイツ軍戦闘機の機銃掃射を浴び、ダンケルクの砂の海岸で撤退船を待っているような臨場感のある映画だった。

この映画を見た離脱派は勢いづいた。前述のファラージは「この国のすべての若者にこの映画を見てほしい」と推薦し、エコノミストのウィル・ヒトンは「EU離脱はわれわれの世代のダンケルクだ」と鼓舞している。残留派から離脱派に転向した歴史家ニ―アル・ファーガソンハーバード大学教授)は、「ダンケルクは難局に直面したときの、われわれの能力を示している」と自賛し「1940年5月に対独和平交渉をすべきでなかったと同様に、もはやEU離脱を再考するようなときではない」と主張している。

しかし、ダンケルクの監督クリストファー・ノランは「1940年に起こったことを現在のレンズで解釈するのは、あの現実を体験した人々に失礼だ」と言い、政治的意図などまったくないと語っている。

フィナンシャル・タイムズ記者ヘンリー・マンスもまた、コラムで離脱派の評価について「ダンケルクと現実を結びつけるべきでない」と言い真っ向から反論している。彼はこの映画はイギリス人のアイデンティティについてではなく、極限状況直面した人々の人間的感情と連帯についてであると言う。筆者も、ダンケルクの海岸で空から爆弾が落ちてくる現実に直面している人間にとって、国家アイデンティティなどどうでもいいことだったと思う。

 

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ウィンストン・チャ―チル             The Imperial War Museum

 

イギリス人の愛国心を刺激した映画がもう一本ある。現在、日本で公開されている「ウィンストン・チャ―チル」(原題”Darkest Hour“)は、ヒトラーの英国侵攻の脅威に抗して大英帝国を救った、チャ―チル首相の不屈のリーダーシップを描く1940年5月の23日間のドラマである。

ダンケルクの絶望的な状況(降伏すれば、英国本土でナチスと戦う将兵がいなくなる)に直面して、ハリファックス外相などは対独和平交渉を要求したが、チャ―チルはそれを拒否し、議会で「われわれは決して降伏しない」と徹底抗戦を訴えるあの有名な演説をして、圧倒的な支持を受けるシーンは20世紀の歴史の決定的瞬間だ。

当時は、英国がヒトラーの軍門に下るのは時間の問題だと思われていたので、ヨーロッパで唯ひとりナチスに立ち向かったチャ―チルの勇気を、イギリス人は限りなく誇りに思っている。筆者もチャ―チルはナチスの野蛮から西洋文明を救った偉大な人物だと思っているが、ダンケルク魂でポストEUの‘偉大な英国’を築こうというのは現実離れの精神主義だ。

この映画を見た直後、筆者はガーディアン紙で駐英ドイツ大使への面白いインタビュー記事を読んだ。ピーター・アモン大使は、英国でのダンケルクとチャ―チル映画の人気に触れ「EU離脱派の人々は第二次世界大戦で、英国が孤立無援のなかででナチスに立ち向かったことを強調しているが、現在の問題の解決にはならない」と言っている。これは前述したファーガソン教授が誇る不屈のジョン・ブル魂だけでは、ポストEUの英国の将来は開けない、との直言だろう。

英国は議会民主主義の元祖である。かつて英国は7つの海を支配した大帝国だった。自由を愛する英国民は20世紀の二つの世界大戦で勝利した。シェークスピアとチャ―チルの国だ。これらはイギリス人の誇りでもあり、アイデンティティでもある。

しかし、その誇りと栄光へのノスタルジアが、現実を見えなくしているのではなかろうか。別の言い方をすれば、離脱派のリーダーとその支持者は、自国の力を過大評価したが故に、EUを去る決定をしたのではなかろうか。離婚の後の青写真もないままに。

 

メイ首相の大誤算

 

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メイ首相とユンケル欧州委員長            Reuters  Hannah McKay

 

2月上旬、メイ首相は日本の在英企業のトップと日本大使を官邸に招いて会談をした。そのあと官邸から出てきた鶴岡公二大使は、記者のEU離脱後の日本企業の対応についての質問に答えて、流暢な英語で「もし英国で引き続き活動しても利益がでないとなると、日本の企業だけでなく、どこの企業も活動を続けることはできない。これは自明の理だ」と言った。

筆者はこの場面をBBCのニュース番組で見ていたが、これは明らかに英国政府への警告だった。英国・EU間の離脱交渉の結果が日本にとって不利な内容なら、日本企業は英国から撤退するだろう、と言ったわけだ。

日本の英国への投資は大きい。1000社の日本企業が、14万人を雇用して活動している。メイ首相との会談には英国で最大の自動車工場を経営するニッサンをはじめ、トヨタ、日立、三菱、みずほ、ソフトバンクなどの企業の代表が出席し、関税障壁がない英国・EU間の貿易交渉の早期妥結を要請したのだ。

大使の発言はおそらく、英国を根拠地にしてEU圏でビジネスをしている企業を代弁したものだった。国民投票から20か月、EUからの離脱をブリュッセルに正式通知して1年も経つのに、メイ首相の基本方針が明確でないことへの不安と不満の表明でもあった。

そもそも、メイは国民投票を実施したキャメロン内閣の内務相で、EU残留を支持していた。彼女は残留キャンペーンに熱心ではなかったが、投票前にロンドンのゴールドマン・サックスの幹部を前にした部外秘の会合でその本音を語っている。「われわれが5億人の経済圏の中にいることは重要だ。多くの人々が英国に投資するのは、英国がユーロッパの中にいるからだ。EUの一員でなければ、外国企業は英国からヨーロッパ大陸に移動するだろう」。

これはガーディアン紙が録音テープを入手してのスクープ(2016年10月)だったが、首相になってからの180度の方向転換にはおどろく。投票前、キャメロン首相を積極的に支援しなかったのは、残留派が勝った場合の後継首相への野心があったからだと言われている。

ともあれ、首相になったメイは国民投票の結果は神聖な「国民の意思」だとして、離脱派のジョンソンを外務相、デイヴィッド・デイヴィスをEU離脱担当相、ライアム・フォックスを国際貿易相に任命し、‘4人組’はさらばEU路線を突き進む。

英国社会を分断した国民投票のあと、メイは首相として離脱派と残留派の溝を埋める努力をすべきだったが、そうはしなかった。彼女は残留派をまったく無視して、離脱派の最強硬路線を選択し、単一市場と関税同盟からの脱退をいち早く決定し、ポストEUの青写真を国民に示すことなく、2017年3月29日にブリュッセルにEU脱退の正式通告をした。これらの決定は残留派の怒りを買い、両派の対立をさらに深めることになる。

メイ首相は野党の労働党が弱いと見て、6月に総選挙を強行する。圧倒的多数を獲得して、強い立場で対EU交渉をしようと目論だのだ。選挙キャンペーン中にメイは、7月から始まるEUとの交渉に備えて、ジャン・クロード・ユンケル欧州委員会委員長を首相官邸での夕食に招待する。

この会談で両者は正面衝突した。メイは離脱交渉と脱退後の英国・EU間の貿易協定交渉を同時並行で行うことを主張したが、ユンケルは離脱交渉に決着をつけてから、貿易交渉にかかろうと提案した。両者間で決着がついていない‘離婚’に際して英国が負担する推定600億ユーロ(8兆円)の清算金について、メイは法律的には支払いの義務がないと言ったので、ユンケルはおどろき会談は物別れになった。会談のあと、ユンケルはドイツ首相メルケルに電話をして、彼女はなにも分かっていない「他の惑星の住人のようだ」と言ったという。

総選挙はメイの期待に反して、労働党が躍進し保守党は過半数を割り結果は裏目にでた。メイは北アイルランド民主統一党と連立を組み政権を維持したが、ほぼ独断で総選挙を断行し敗北したことへの責任を問われ、一時は首相交代の噂が流れたほどだった。 

 

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それ行けどんどん!                        The Sun

 

これでメイ首相の政治力は弱まり、閣内ではEU離脱をめぐって二つの勢力の対立が激化する。離脱のダメッジを最小限に抑えようとするソフト・ブレグジット(穏健派)とEUが英国の要求をのまないならEUとの関係を完全に断とうと主張するハード・ブレグジット(強硬派)が対立し、メイ首相はそれを収拾できないまま、ブリュッセルとの交渉に臨むことになる。

穏健派は、エコノミスト誌が閣内で‘唯ひとりの大人’と呼ぶ、フィリップ・ハモンド財務相が代表する。彼は外相、国防相を歴任したベテランだが、政治家になる前に20年間ビジネスマンだった。彼は対EU協調を主張する。英国のEU市場へのアクセスは極めて重要である。したがってそれを確保するためには、ブリュッセルとできるだけ密接な関係を保つことを前提に交渉を進めるべきだと。

強硬派はジョンソン外相とマイケル・ゴーヴ環境相が代表する。彼らの主張は次のようなものだった。EUの鎖を断ち切り、英国の主権を取り戻し、移民を制限し、EU司法裁判所から司法権を回復し、世界の主要国と貿易協定を結び再び偉大なる英国を建設しよう。そのスローガンは“Global Britain”である。

当初、メイ首相はEUを脱退しても、英国はEU市場にアクセスして「これまでと同じ利益」を享受できる、と国民に説明していたが、それを聞いたメルケル首相は「EUから脱退すれば‘選り好み’はできない」と警告を発している。

この発言は昨年7月に英国・EU交渉が始まる直前にされたものだが、これがブリュッセルの基本的なポジションとなる。すなわち、EUの基本理念である「人、物、金、サービスの4つの移動の自由」を曲げることはできない、それを崩すとEUの統制がとれなくなる、というものだった。しかし、メイ首相は‘選り好み‘の姿勢を変えなかった。

2月のスイスのダボスでの世界経済フォーラムの席で、メイとメルケルが会談した。そのとき、メイは離脱交渉について「わたしに、なにか提案をしてほしい」と言ったという。メルケルの答えは「あなた方が脱退するのでしょう。こちらから提案する必要はないわ。いったいEUに何を望んでいるの」だった。それを聞いてメイは再び「提案をしてほしい」と言ったという。その時点で英国側は離脱交渉に関する具体的な提案をしていない。メルケルは厚かましいと思ったのだろう。 

 

誤解と幻想

 

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英国のデイヴィス離脱担当相とEUのバルニエ主席交渉官      Independent.ie

 

イギリス人はとんでもない誤解に基づいて、EU離脱に投票したのではなかろうか。英国は世界第5位の経済大国である、EUのあの官僚主義、過剰規制、大量移民容認政策にさよならをして‘英国を再び偉大な国にしよう’と離脱派のリーダーは繰り返し言っていたが、この国の影響力を過大評価し経済の現実を直視していなかったようだ。以下、いくつか例を挙げてみよう。

英国経済は堅調だが、それは表面的なことで、その弱さが隠されている。英国にはEUを離れて国家としてやっていく、製造業のインフラ、高レベルの技能、高い生産性がない。英国の弱点はEU加盟国であることで補完されている。

英国の繁栄はヨーロッパとの貿易によるところが大きい。EUへの輸出は44%、輸入は50%以上である。それを支えている外国企業の英国への直接投資の役割は大きい。彼らはこの国の輸出製品の半分を生産しているからだ。

当初、強硬派はEUとの交渉にあたって、EUのほうが英国を必要としていると考えていた。しかし、英国の輸出がGDPに占める割合は7・5%だが、EUのそれは2・5%だから現実は逆だ。

イギリス人は英国経済がパワーハウスだと考えているが、現実はそうではない。英国労働者の生産性はG7諸国のなかで6位である。OECDによると、ドイツに比べると海外直接投資も貿易量も少なく、英国には世界最高の教育機関があるが、イングランドの若者の読み書き能力、数学基礎知識は35ヵ国中の32位である。

交渉担当者はEU市場に頼らなくとも、米国、中国、インドなどの大国と自由貿易協定を結べば英国はうまくやれると考えていた。フォックス国際貿易相が世界中を駆けまわってGlobal Britainプロジェクトを推進しているが、まったく成果はあがっていない。「貿易戦争はいいことだ」と言うトランプのアメリカ、一筋縄ではいかない中国を相手にそう簡単に新協定が結べるわけはない。

以上のように、現実は英国にとって厳しい。ところが、交渉が始まる前、ジョンソンの盟友ゴーヴは「われわれには、切り札がいっぱいある」、フォックスは「EUとの交渉は人類史上、最も容易なものになるだろう」と豪語していた。しかし、離脱交渉の結果を見ると、切り札はEUが持ち、英国は妥協を強いられていることが分かる。 

 

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メイ内閣のブレグジットに関する特別会議              The Daily Mail

 

2月下旬、メイは首相のカントリー・ハウスチェッカーズの屋敷に全閣僚を集め、EU離脱交渉の基本方針を策定するための会議を開いた。会議は8時間続き、強硬派と穏健派が同意できる玉虫色の案が了承された。3月2日メイはロンドンのマンション・ハウスで演説し、交渉のポジションを表明する。

内容は友好的で前向き、お互い妥協して交渉をまとめようと訴えた。しかし、英国案はEUとの密接な関係を維持したい、ただし条件もある、というニュアンスが濃かった。EUは演説のトーンを歓迎したが、‘選り好み’は受け入れられないと再び強調した。

3月19日、英国のデイヴィス離脱担当相とEUのバルニエ主席交渉官が、ブリュッセルで記者会見をして、離脱協定合意を発表した。内容は英国の降伏と言っていいほど、EU側の主張が通っていた。ジョンソンが「無視する」と言っていたEUへの清算金450億ユーロ(4.7兆円)の支払い、在英EU市民の権利の保証、共通漁業政策の維持、EU法の優先などである。

同意事項のなかで最も重要なのは、2019年3月29日にEUを正式脱退して以降の移行期間は、英国は2年間を提案したが、EUの主張する2020年12月31日までの21か月間になった。この移行期間に両者間で貿易協定が結ばれることになるが、その間、英国は事実上の加盟国扱いだが、従来どおりの分担金を支払い投票権はない。この期間は、英国はEUの4つ自由の原則に従うが、第3国との貿易交渉はできる(実施は移行後)。この合意はEU首脳会議で承認されやっと実務作業がスタートした。

メイがここまで妥協したのは、ようやく彼女が、英国はEU市場なくてはやっていけない、という現実を理解したからだろう。主権を取り戻すと息巻いていた強硬派は、事実上なにも変えることはできなかったが、3年後にはEU脱退という目的が達成されることに満足しているようだ。ルモンド紙は「3月の終わりまでに合意がなければ、英国の外国企業の多くはヨーロッパに拠点を移す決定しただろう」と言っているから、ぎりぎりのタイミングだった。

しかし、この協定はまだ25%が合意に至っておらず、なかでも英国領の北アイルランドとEU加盟国のアイルランドの国境線問題が残っている(現状は長年続いた両者間の武力紛争が、20年前の和平協定で解決し検問所もない)1年後に始まる貿易交渉は、英国GDPの12%を占める金融サービスのEU市場へのアクセスなどをめぐって難航が予測されている。

残留派が来年の3月29日に迫った離婚を阻止する可能性はあるのだろうか。その唯一のチャンスは、秋に議会が合意内容を議論して、承認か否かを決める時に来るかもしれない。労働党と保守党の造反議員は、メイが否定している関税同盟を支持という点で一致しているので、両者が組み過半数を占めれば、議会で合意を拒否し、内閣総辞職、総選挙でブレックスに関して民意を問うというシナリオはある。しかし、なにか劇的なことが起これば別だが、EU離脱の流れができている現況では、難しいのではないだろうか。

 

保守党の堕落

 

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ジョンソン外相       NBC News  モグ議員      Courrier international

 

3月2日のメイの演説のあとの記者会見で印象的な場面があった。ドイツ人記者が質問に立ちただ一言「EU離脱は価値のあることなのでしょうか?」と尋ねた。すると、メイはしばらく沈黙し「もちろんです」とは言わず、当たりさわりのないことを言った。

その記者は、EUと離婚することを正式に決めながら、いまさら“EU圏とできるだけ密接な関係を結びたい”とは矛盾ではないか、そもそも離婚はすべきではなかったのでは、との意を含めて放った一言はその日最も鋭い質問だった。

そもそも、国民投票をすべきだったのだろうか。キャメロン首相は、公約どおり国民投票を実施したのだが、そのハードルは極めて低かった。3分の2ではなく単なる過半数による決定で、結果について議会の承認も、二回目の国民投票も設けられていなかった(のちに議会は投票結果を承認)。

キャメロンの目的は国民の信任を得て党内の離脱派を沈黙させ、政権基盤を安定させることだった。だが、楽勝と思っていたのに、残留48%vs離脱52%の逆の結果がでたのだから大ショックだった。EUの失望も大きかった。

国民投票の前、議員の4分の3は留任支持とされていたから、最高決定機関である議会の意思とは反対の結果がでたということになる。後世の歴史家は ‘党内事情が理由で、英国の将来を一か八かのギャンブルに賭けた男’とキャメロンを呼ぶのではなかろうか。国民投票ロシアン・ルーレットであったという人もいる。

首相になったメイはすぐに「離脱は離脱だ」と断言し、EU脱退を宣言した。そして、彼女は昨年3月29日にEU離脱をブリュセルへ正式通知した。これで自動的に2年後の2019年3月29日に脱退をすることになった。’鉄の女’サッチャーに倣って果敢な決定したつもりだったのだろうが、これが自らを縛ることになる。

本来なら、英国のポジションをじっくり練って、その上でEUとの離脱交渉に臨み、基本的な了解ができてから脱退通知をすべきだった。メイの通知があまりに早すぎた上に、閣内対立のため明快な路線を打ち出すことができず、貴重な時間を失った。専門家の多くが貿易交渉を妥結するには5年はかかると言っているが、今回の合意では2年もない。

メイの最大の過ちはおそらく、首相になってすぐ強硬派路線を選び、残留派を「どこの国にも属していない人だ」とレッテルを貼り、単一市場と関税同盟から離脱、EU司法裁判所には従わないと宣言したことだろう。EUはその理念を否定して、清算金の支払いも拒否する英国の強気の姿勢に反発し、交渉が頓挫したのである。メイは英国の実力を過信していたとしか思われない。

メイの現在の状況は「レストランで立派なコース・メニューがあるのに、アラカルト料理に固執し倍の料金をとられる羽目になったのに似ている」とガーディアン紙のジョナサン・フリードランは皮肉っている。言い得て妙である。

英国の実力を過信してEU離脱を煽った保守党の政治家の責任は重い。とりわけ、ジョンソン外相とジェイコブ・リース・モグ議員はそうだ。ジョンソンは、注目を浴びるために絶えず特異な発言をする、小型トランプのような男だ。

例えば、ロンドンの英仏首脳会談で、彼はマクロン仏大統領に‘英仏海峡に橋をかける提案’をしたので、翌日のタブロイド紙はツー・ショットの写真付でこの発言をトップで扱った。一方、エリゼ宮の16頁の記者発表文書はその発言を載せてもいない。

しかし、ジョンソンはその日の話題を独占し目的を達している。彼はメディア時代のリアルタイム政治の先端を行く。政治はエンターテインメントでゲームであると、彼は考えているようだ。

離脱派の最右翼モグ議員もまたエキセントリックな発言で知られ、保守党支持者の間で人気がある。昨年秋、ある集会で「EU脱退はウォータールーの決戦、トラファルガーの海戦と同様の歴史的重要性がある。これはマグナカルタに署名するに等しい」と言い喝采を浴びたという。

また、パリ気象協定に反対、レイプの場合も中絶に反対と公言しているが、人気が衰えることはない。発言は時代錯誤的で保守反動だが、マナーは抜群、魅力的な人物だというから、変わり者が好きな英国人気質に合うのだろうか。

作家のウィリアム・ダヴィ―ズは現在の保守党の離脱派リーダーの特徴は、1960-70年代生まれで、有名な父親を持ち、ジャーナリストの経歴があり、英国の歴史を比較的よく知っていることだ、と指摘している。

ジョンソンは52歳、父親は作家で保守党政治家、前ジャーナリスト、オックスフォードで古典専攻。モグは48歳、父親はタイムズ紙編集長、前投資銀行家、オックスフォードで歴史専攻と、彼らの経歴は良く似ている。

二人は大資産家で、レトリックには強いが,政策には弱いという共通点もある。二人の歴史観も似ている。その視点は常にイギリス人の眼で見た歴史で、自国を客観視したうえでの歴史ではない。いわば英国版’皇国史観’だ。

最大の共通点は、絶えずユーモラスに兆発的な発言をして注目を浴びることだろう。2年前までは、二人は保守党内では冗談のタネだったのだが、今では次期首相候補である。ダヴィ―ズは「英国の不幸は、彼らのような不真面目な政治家が国家の最重要課題を左右する状況である」と言っているが、英国の政治はどこかトランプのアメリカに似てきている。

 

若者の怒り

 

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プラハのカレル大学で学ぶエラスムス留学生             www.cuni.ck

 

3月末、メイ首相は、スコットランドウェールズ北アイルランドを遊説して回り各地で「英国の未来は明るい。ブレグジットはチャンスをもたらす」と訴えた。これを伝え聞いた英国の大多数の若者は‘なにをとぼけたことを’と思ったに違いない。

国民投票で72%の若者(18-24歳)が残留に賛成したが、主な理由はEU市民でなくなると、自由にヨーロッパ諸国を旅して、学び、働くことができなくなるからだ。彼らはチャンスが失われ、未来は暗いと思っている。彼らはEU脱退で景気が悪くなり、就職が難しくなることを心配している。若者は離脱票を投じた人々、とくに老年層(65歳以上)に反感を覚えている。先の長くない老年層に未来を奪われたとの思いだろう。

どこの国の若者にとっても留学は夢だ。EUには「エラスムス計画」という1年間の留学、職業訓練のプログラムがある。EUの奨学金で、これまで加盟国300万の学生が利用し、現在、英国の若者1万5000人が留学生としてEU諸国で学んでいる。しかし、ヨーロッパの若者の視野を広げ、友情を育てる素晴らしいチャンスがなくなる可能性か高い。

英国の田舎育ちの女子学生が、「エラスムス計画を継続してほしい」と訴えるコラムをガーディアン紙に寄稿していた。彼女は北フランスのランスの大学に留学中で、貧しい家庭に育った自分が留学などできるとは思わなかった、このチャンスが同胞から奪われるのは悲しい。ここで暮らしていると、自分はイギリス人であると同時にヨーロッパ人であると思うようになった。EU離脱交渉者にエラスムスが、将来にとっていかに大事なプログラムかを分かってほしい、と書いている。

このエッセイの冒頭で作家バーンズが、若い女性ファゴット演奏者の体験を描き文化交流の重要さを語っているが、この指摘は重要だ。なぜなら、EU離脱に関する議論があまりに経済と貿易に集中しすぎているからだ。

EUからの離脱を推進している保守党のリーダーと支持者のさらばEU組は、若者の未来と希望にはあまり関心がなく、エラスムス計画もよく知らないのではなかろうか。彼らは英国の過去の栄光を糧にジョン・ブル精神で活路を開こうとしているが、それは幻想だろう。イギリス人は栄光の時代への郷愁が強い。マルクスは「宗教は民衆のアヘンである」と言ったが、「ノスタルジアは英国特権階級のアヘンである」というところだろう。

若者の未来を潰す英国のEU脱退は暴挙である。


筆者はこの記事を書くにあたって、以下のエッセイ、コラム、論文のお世話になりました。感謝いたします。”Dairy” Julian Barnes The London Review of Books 2017・4・20、“Who is to Blame for Brexit’s Appeal? British Newspapers” Martin Fletcher The New York Time 2016・6・21, “Britain’s imperial fantasies have given us Brexit” Gary Young The Guardian 2018・2・3, “Dunkirk does not teach us anything about Brexit” Henry Mance The Financial Times 2017・7・28, “An Economy on the Brink” Simon Head The New York Review of Books 2017・4・4 , “ What are they after” William Davies The London Review of Books 2018・3・8、”Do not cry for Teresa May : This Brexit crisis is her fault” Jonathan Freedman The Guardian 2018・3・2, “ Brexit Weekly Briefing“ The Guardian , “A student’s plea to Brexit negotiators : Keep the Erasmus scheme” Jessie Williams The Guardian 2017・2・7

 

 

フランス田舎暮らし ~ バックナンバー1~39


著者プロフィール

土野繁樹(ひじの・しげき)
 

ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。