歴史探訪 その17 天安門事件③
中国国家博物館 Sim Chi Yin for The New York Times
1989年6月4日の朝、人民解放軍が学生と市民を虐殺したとのニュースを聞いた、ペリー・リンクは(『天安門文書』の監修者、プリンストン大学名誉教授)自転車に飛び乗り、友人である方励之夫妻のアパートへ向かった。ドアをノックすると李淑嫻夫人が現れ、怒りで体を震わせながら「彼らは狂っている。ほんとうに、狂っている」と繰り返しつぶやいた。方励之は机に向かっていた。物事に動じない彼も、ショックで沈着さを保つのに苦労しているようだった。夫妻の友人たちが電話で、二人は“反革命動乱”の扇動者リストのトップに指名されているようだから、一刻も早く逃げたほうがよい、と警告した。方は「ここは、わたしの家だ。なにも悪いことはしていない。出て行く理由がない」と拒んだ。しかし友人たちの重なる忠告に従って、数時間後に姿を隠した。
続きを読む歴史探訪 その14 ニクソンと毛沢東 1972
NIXONMAO Nothing New Since Nixon Met Mao Transmition6-10
1969年1月、ホワイトハウスの主になって1週間後、リチャード・ニクソン大統領はヘンリー・キッシンジャー安全保障担当補佐官を執務室に呼び、以前から構想していた対中和解政策を説明し、中国訪問の可能性を探るように指示した。執務室からでて来たキッシンジャーは、大統領主席補佐官ハリー・ハルデマンに「これは無理だね」と言っているから、当初は関心がなかったようだ。泥沼化したベトナム戦争の終結と米ソ核軍縮が、ニクソン新政権の最大の課題だったので、キッシンジャーの反応は不思議ではない。
続きを読む歴史探訪 その12 毛沢東の文化大革命
どの国にも狂気の時代がある。日本の場合、戦前の軍国主義の時代がそれにあたる。文化大革命の10年は、中国の狂気の時代であった。今年は毛沢東がはじめた革命50周年にあたる。
1966年8月18日午前5時、北京の天安門楼上に軍服姿の73歳の毛沢東が立つと、天安門広場の100万人の紅衛兵が大歓声を上げ,赤い表紙の『毛沢東語録』を掲げて「毛沢東万歳!」を叫び続けた。午前8時、小柄で瘠せた国防相・林彪が、全国から集まった若者たちを前に、「搾取階級の旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣のすべてを打破しよう」と呼びかけた。6時間にわたる集会のハイライトは、楼上の指導者との接見を許された学生のひとり、宋彬彬が毛沢東の腕に紅衛兵の腕章をつけた瞬間だった。これは、紅衛兵運動を毛沢東が公認し、7億の中国人に文化大革命(文革)を宣言した瞬間だった。
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