フランスの田舎から世界を見ると

土野繁樹の21世紀探訪

歴史探訪 その13 毛沢東の実像

 

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Andy Warhol 作                         Wikipedia

 

筆者の中国現代史の師匠は米国コルビー大学の先輩ジョン・ロドリック(1914-2009)さんだった。ジョンはAP通信のナンバーワンの中国通として、40年間、洞察に満ちた記事を世界に送り続けた。彼は延安時代の革命指導者をよく知る数少ない記者だった。ジョンは延安に二度、あわせて7か月(1945-7)滞在して、洞穴の町で暮らす毛沢東周恩来劉少奇朱徳江青などと毎日のように顔を合わせて取材した。

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歴史探訪 その12 毛沢東の文化大革命

 

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映画「毛沢東は永遠に我らとあり」のポスター      Wikipedia

 

どの国にも狂気の時代がある。日本の場合、戦前の軍国主義の時代がそれにあたる。文化大革命の10年は、中国の狂気の時代であった。今年は毛沢東がはじめた革命50周年にあたる。

1966年8月18日午前5時、北京の天安門楼上に軍服姿の73歳の毛沢東が立つと、天安門広場の100万人の紅衛兵が大歓声を上げ,赤い表紙の『毛沢東語録』を掲げて「毛沢東万歳!」を叫び続けた。午前8時、小柄で瘠せた国防相・林彪が、全国から集まった若者たちを前に、「搾取階級の旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣のすべてを打破しよう」と呼びかけた。6時間にわたる集会のハイライトは、楼上の指導者との接見を許された学生のひとり、宋彬彬が毛沢東の腕に紅衛兵の腕章をつけた瞬間だった。これは、紅衛兵運動を毛沢東が公認し、7億の中国人に文化大革命文革)を宣言した瞬間だった。

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中国100年の屈辱 その11 1937 辺見庸

 

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蔣兆和 「流民圖」 1943年作  Trois Mille Ans de Peinture Chinoise

 

南京事件を中国人の眼で見ると、どう見えるか。作家、堀田善衛は、それを小説『時間』(1955)で試みた。大虐殺事件を被害者の眼でみると、どんな光景が現れ、日本人の言動がどう見えたのか、を堀田は描いている。この斬新な企てを、辺見庸さん(以下敬称略)は「目玉の入れ替え」と呼び、堀田の勇気に敬意を表している。

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中国100年の屈辱 その10 1937年 南京の生き仏

 

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犠牲者の顔写真ククリーン                 南京大虐殺記念館

 

南京事件は、おそらく日本の歴史のなかで最も恥ずべき出来事であった。「聖戦」の名で、書くのも語るのも憚られる蛮行が行われたことを、いまでは多くの日本人は忘れている。そして知らない。知っているにしても、うすらぼんやりとだ。それだけではない。南京事件はなかった、それほどの大事件ではなかった、という説が大手を振るってまかり通っている。

今回の歴史探訪では、幻説と事件の矮小化がなぜ誤っているかを、内外の信頼できる史料を駆使して証明してみよう。史料のなかで、とくに重要なのは、南京安全区委員会の長であったジョン・ラーベの『日記』である。ドイツ人ビジネスマンでナチス党員であったラーベは、南京市民、難民20万人を救った。このヒューマ二ストの日記を読むと、ドキュメンタリー映画の説得力がある。後半で、中国人でも日本人でもない、この第三者の証言を紹介する。

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中国100年の屈辱 その9 1937年 南京事件

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南京入城式    1937年12月17日

 

南京陥落から4日後の1937年12月17日、日本軍による盛大な南京入城式が行われた。東京朝日新聞は翌日の夕刊でその模様を次のように報じている。

 午後1時半松井大将を先頭に朝香宮殿下を始め奉り柳川部隊長,各幕僚は騎乗にて、ここに歴史的大入城式が開始された。嚠喨たる喇叭が響き渡る。何という堂々の大進軍だ。午後2時国民政府正門のセンターポール高く大日章旗が掲揚され、海軍々楽隊の「君が代」が奏でられ始めた。松井方面軍司令官が渾身の感激を爆発させて絶叫する「天皇陛下万歳」の声、全将兵の唱和する万歳のとどろき、ここに敵首都南京がわが手中に帰したことを天下に宣する感激の一瞬である。(記事要約)

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中国100年の屈辱 その8 1936年 西安事件

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西安蒋介石(左)と張学良(左) 1936年12月

 

1936年12月4日、陝西省の首都、西安の飛行場に20人の護衛に守られた蒋介石と幕僚が到着した。西安は唐の時代に長安と呼ばれ、世界で最も美しく豊かな国際都市であった。1300年後の西安は、シルクロードで繁栄していた昔の面影はなく、北伐軍の司令部がある城塞都市になっていた。そこから300キロ離れた陝西省呉起鎮に、毛沢東共産党本拠地(37年に延安へ移動)があった。

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中国100年の屈辱 その7 蔣介石の革命

 

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中国統一のシンボル「青天白日旗」

 

1960年代前半、筆者が学生だった頃、毛沢東は人気があった。当時、中国に関心がある若者は、米国のジャーナリスト、エドガー・スノーの『中国の赤い星』(1937年刊の戦後の邦訳)を読み、毛沢東とその同志のファンになったものだ。筆者もその一人だった。彼の書いた『実践論』と『矛盾論』はいずれも明快な革命哲学論だと思った。かたや、中国共産党の宿敵、蒋介石については、ほとんど関心がなかった。国共内戦に敗れた反共主義者宋美齢の夫、軍人独裁者というぐらいの認識だった。

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